>「見せられない姿」 翌日…… 昨日はあんな調子だったが、眠って楽になったようだ。 「おはよう。」 「おはようございます、咲耶様。」 「……他の二人はどうした?」 幽羅と羽衣の姿が見えない。まだ眠っているんだろうか? 「まだ眠っているみたいです。昨日のでかなり疲れているかと……」 「そうだな……今はそっとしておこう。」 昨日のあれがまだある以上、今日無理する必要はないだろう…… 今はゆっくり休ませよう。 「……一難去ってまた一難と来たか。」 「はい……本当に、最近多いですよね。」 食卓の上に置かれた手紙。それは新たな依頼の手紙であった。 流石に、立て続けに来るのは負担になる。 「……ふむ、この程度なら我一人でも十分だろう。」 「疲れは大丈夫なんですか?」 「何、問題ないさ。」 内容は難しいものではない。 ベロス近くの森に、そこにいるはずのない強力な魔物が出没しており、 その周辺にある道路が使用不可能になっている、との事だった。 「さて、早速向かうことにしよう。」 「咲耶様、私も一緒に行きます。」 「雪乃……我なら大丈夫だ。それに、あのような姿は見せたくないのでな。」 「あ……」 それを聞いた雪乃の表情が曇った。 そう……雪乃は一度、我が戦いに狂った姿を見ている。 「……すまないな。」 「いえ、いいんです……お気をつけて。」 「ああ、行ってくる。」 我は一人、ベロスへ向かう事にした。 この程度であれば……本当に、我だけで十分だ。 もう、あの姿は見せたくないのだ…… 「あれ?咲耶ちゃんは?」 「依頼でベロスに行っていますよ。」 「そっかぁ。大丈夫かなぁ……何だか最近調子悪そうだし……」 「ええ……」 ベロスの近く、森の中。 「……ふふ……」 迫る大きな気配に我は薄い笑み。 周りには我の手で切り裂いた魔物達の死骸が転がっている。 「さぁ、来るがよい……我に勝てるというなら……!」 一際大きな、敵の長だろうか。だが、我の敵ではない…… 血に染まった爪を振りかざす。 「……消えろ。」 すれ違いざまの一撃。 一瞬にして胸を引き裂いた。 血が吹き出す音がする。 「ふん……手応えのない奴だ。」 血の臭いが一帯を包んでいた。 常人であれば気分を害するであろう臭い、だが我は平然としていた。 たった今殺したそれを見る。血の海にうつ伏せになっている。 そして徐々に思考が正常に戻っていく。 「……ふぅ……」 術式展開。今日は随分と派手にやった。浄化にも手間取りそうだ…… 血の臭いは消え、そこにあった亡骸も全て消え去った。 「さて……」 帰ろう。役目は果たした…… ----- >「心配事」 「あ、咲耶ちゃん、おかえり〜!」 「……ただいま。」 館に帰ると、幽羅が笑顔で出迎えてくれた。 「大丈夫だった?」 「ああ、問題ない。」 「そっか。咲耶ちゃん、最近ちょっと調子悪そうだったからさ……」 「……すまないな。だが、大丈夫だ。」 やはり見抜かれていたか。 そう、確かに調子は万全ではなかった。 まぁ……この程度では影響はない。 「あ、もうご飯出来てるからね!」 「ああ、わかった。」 とりあえず、今回の件に関してはもう大丈夫だ。 ……しかし、場所がかなり町に近い距離だったな。 この調子では、いずれ…… 「……はぁ……」 「どうした?溜め息とはらしくないぞ。」 それは食事の後の事だった。 珍しく幽羅が溜め息をついていた。 普段から元気なだけに、こういう場面は非常に少ない。 「あのね……最近、ちょっと体が重くて……」 「大丈夫か?やはり、あの時に術を使ったのがまずかったか?」 幽羅はその身体に似合わず、強力な魔法を扱う事が出来る。 が、当然ながら負担もある。使いすぎれば影響も出る。 「う〜ん……どうなんだろう……」 「我の心配をするのはいいが、自分の事を疎かにするな?」 「うん……」 よっぽど疲れているのだろうか…… だが、幽羅が席を立った瞬間、別の気配が襲った。 「……エアリナ……?」 その気配は紛れもなくエアリナの物だった。 今まで、幽羅が目覚めている時にエアリナの気配を感じる事は無かった。 だが……急に何があったのだ?もしや…… 「急にごめんなさいね……」 「……近いのだろう?」 「ええ……」 星の見えるテラス、そこに我らはいた。 エアリナから感じられる気配は、以前より弱くなっている。 「一度、この子を元の姿に戻さないとね。」 「……後どれくらい持つか?」 「どうかしら……わからないわ。ただ安定してない事は確か。」 「そうか……手遅れにならなければいいのだが。」 「変な事言わないでよ。怖くなっちゃうじゃない……」 その言葉は明らかに弱気。らしくないな…… だが無理もない。残された時間が少ないのだから。 「すまない……だがどうする?」 「どうしようもないわよ。とにかく、一度この子に話をしないと……」 果たして、今の幽羅に引継ぎに耐えうる能力を持っているだろうか? 互いが破滅する……その可能性もある。 そうなれば、世界の秩序も乱れるであろう…… 「頼むぞ、エアリナ。我は仲間を失いたくない。」 「わかっているわ。絶対に、無事に引き継がせる。」 迷いのない言葉だった。 それは彼女自身もわかっているからこそだろう。 二人で夜空を見上げる。風は随分と涼しくなった。 「もう、夏の暑さも通り過ぎたな。」 「そうね……もっと長く感じていられたらなぁ……」 「……また、感じられるさ。この風を……」 「……ええ……」 何も考えず、ただただ、この美しい夜空を眺めていた。 季節はもう、秋へと向かっていた。 ----- >「深い霧の中で」 「……ここは……?」 ……夢、見てるのかな。 目の前は霧で真っ白。ううん、前だけじゃない。 何処を見ても真っ白……ここは、何処なんだろう? 「……?」 何処からか声が聞こえた気がする。 でも、何処から聞こえたかはわからない。 「どうなってるんだろ……」 でもちょっとだけ、知ってる場所のような気がした。 何も見えないからなんとなくだけど…… この感じ……何処だろう……? 「……それはまた不思議な夢だな。」 「うん……こんな事初めてだよ。」 幽羅が見た夢、そして声…… その理由は分かっている。だが、それを伝える事は出来ない。 それはエアリナとの約束…… 「……精神に直接語り掛ける、か。」 「他者との干渉もなるべく避けたいの。正直、手段としてはもうこれしかないわ……」 「そうだな……」 ……エアリナに取れる、限界の手段。これ以上の事は出来ないだろう。 「咲耶……一つお願いがあるんだけども。」 「この件の事だろう?幽羅には伏せておく。」 「……ありがと、咲耶……」 「もしかしたら……何かの暗示かもしれないな。」 「そうなのかなぁ……」 正直、隠し通せる気がしない。 いずれは感づくだろう……それが、何時になるかは分からないが。 それまでは、まだ伏せておくしかない…… 「……む、王室からの依頼か。これは……」 「エリアス近郊のポウ邸宅から不穏な気配有り、至急調査を……ですね。」 「あそこには魔物がいるのはわかっているが……今の所被害は出ていないはずだが。」 「何か、別の物が動いているのかもしれませんね……」 ポウ邸宅と言えば、エリアスから闇の森に向かい、その奥地にある洋館。 昔は人が住んでいたのだろうが、現在では多くの魔物が巣食う場所となっている。 しかし、今までエリアスに対しての被害は殆ど無かった。それが急に調査が必要になったとなると…… 「とりあえず、準備をして向かおう。何が起こるかわからん……」 「はい。」 幽羅と羽衣にも伝え、一路ポウ邸宅へと向かう。 何事も無かったあそこに、何が……? ----- >「賑やかな場所を抜けて」 「……む?」 闇の森に向かう際、エリアス闘技場の前を通る。 が、その様子が以前と違っていた。 「ここはこんなに賑わっていたか?」 「少し前に、再開したようです。私も知ったのはつい最近ですが……」 「ふむ、そうなのか。」 少し前まではまだ閉鎖されていた闘技場。 原因は知らないが……それが開かれた。人の数は以前とは比べ物にならない。 「へぇ……僕も参加してみようかな……咲耶様は参加するんですか?」 「こういう事にあまり興味はないが……まぁ、気が向いたら参加するのもいいな。」 「咲耶ちゃんなら絶対負けないよ!」 「……まぁ、な。」 少なくとも、我は人間ではない。身体能力云々は次元が違うだろう。 本気を出せば、それこそ…… 「だが今は依頼が先だ。行くぞ。」 今は遊んでいる場合ではない。闘技場を通り過ぎ、エリアスを出た。 平原は今日も静かだが、どうも魔の気配がする。 「ねぇ咲耶ちゃん……何か、変だね。」 「……ああ。何かが違う。」 以前、闇の森側の平原に出た事があるが、ここまで魔の気配を感じた事はなかった。 それが、今日は常に感じられる。方角は……闇の森。 「少し急ぐぞ。」 ここ最近、嫌な予感ばかりする。今回も、もしかしたらそうなのかもしれない…… 「……確かにここは危険だが……」 「違いますね……普段と。」 闇の森、入り口付近。歩道はあるが、既に気配は魔が支配していた。 ここまでの物とは……今の状況で、他の冒険者が入っていなければいいのだが…… 「皆、いいな?」 その声で、全員が武器を構え、頷く。 「よし、行くぞ!」 そして、闇の森へと足を踏み入れた…… ----- >「森の異変」 森の中はその気配とは違い静かだった。 普段殆ど人が入らない為か、道らしい道はない。 「……気分が悪くなってくるな……」 「大丈夫ですか?咲耶様。」 気配が混沌としている。集中していないと、すぐに意識が散ってしまう。 「ああ、何とかな。御主は大丈夫か?羽衣。」 「大丈夫……ですけど、落ち着かないです……」 「そうか……」 雪乃と幽羅の表情も硬い。 奥に行くにつれ、気配も更に強まる。と、その時だった。 「な、何なんだよこいつら!?」 「……気をつけて……!!」 少し遠くから声が聞こえた。若い男女……まさか、別の冒険者か!? 急いでその声の方角へ向かう。 「くっ、なんて数だ!!」 少し進んだ先は恐ろしい数の魔物達が群がっていた。 その中心に、人影が見えた。 「お願い……僕に力を……てやぁっ!!」 羽衣が放った炎は瞬く間に広がり、多くの敵を焼き払っていく。 しかし、数は一向に減る気配を見せない。 何か、別の場所に根源があるのだろうか…… 「くっ……これではキリがないぞ!」 「みんな下がって!……お願いっ、みんな!!」 幽羅が術を発動させた。 だが、何かが違う……この魔力の流れは、普段の幽羅が扱う物ではない。 もっと強大な……まさか!? 直後、巨大な竜巻が目の前に現れた。 「しめた、今の内に逃げよう!」 若い男の声が聞こえた。 そして目の前の竜巻は、群がる魔物を切り刻みながら吹き飛ばしていった。 その光景に、驚きの表情を見せていたのは発動させた幽羅であった。 「え……何で……?」 魔物の数は激減した。残りを掃討し、何とかこの場は乗り切った。 あの二人は……どうやら逃げ切ったようだ。このまま森を出てくれればいいのだが…… 「幽羅……大丈夫か?」 「う、うん……大丈夫……」 普段の幽羅であれば、あの様な竜巻を起こすのは無理だ。 発動させた時の、あの独特の魔力。あれは、間違いなく…… 「とにかく、ここはもう大丈夫だ。先へ進もう……」 幽羅の肩を叩き、更に森の奥へ進んでいく。 恐らくは、もうすぐだと思うのだが。 ----- >「黒雲が包む館」 「ようやくか……」 多くの敵を倒し、ようやく邸宅の前まで到達した。 消耗がやや大きいが、仕方あるまい。 「皆、大丈夫か?」 「私は大丈夫ですよ。少し、力を多く使いましたけど……」 「僕も何とか。」 「……大丈夫、だと思う……」 幽羅の調子が気になるが……それに、この淀んだ空気。 「……そうか。よし、入るぞ。」 気は進まない。だが、やらねばならない……そっと、邸宅の扉を開く。 「……よく見えんな……」 中はやけに暗かった。蝋燭に火は灯っていたが、全てを照らすには足りなかった。 近くに魔物の気配は……無い。 「よし、慎重に行くぞ。何が出るかわからん……」 外はあんな状況だったのに、中はまるで気配がしない。 逆に怪しい。何かの罠なのか……とにかく、武器を構え、慎重に奥へと進んでいく。 「……何故ここまで魔物の気配がしないのだ……?」 「ねぇ咲耶ちゃん、何だか……何かが、怖がってるよ。」 「怖がっている?」 幽羅が何かを感じ取っているようだった。 怖がっている……何か、威圧するものがあるのだろうか。 「うん……よくわからないんだけど、そんな感じ……」 「そうか……」 奥に進むにつれ、僅かであるが気配を感じられる。しかし、それは普段感じるものとは違った。 攻撃的な物ではない、何か別の気配だった。 「何だ……?」 「あ、咲耶様!」 雪乃が声を上げる。誰かがそこにうつ伏せになって倒れていた。 慎重に近づき様子を見る。 背中の羽……吸血鬼か?噂には聞いていたが本当にこの館にいたとは。 やや派手目な可愛らしい……と、思う服も、所々破れてしまっている。 しかし……何があったんだ? 「……う〜……私は食べてもおいしくないわよ〜……」 「……何を言っているんだ……」 彼女はゆっくりと転がり仰向けになった。 「ん〜……?あんた達……誰?」 「我々は命を受けてここの調査に来た。」 「ふーん……そう。人間以外が外から来るなんて珍しいわね。」 仰向けになったまま話す彼女。起き上がれないのか……? 「そうかもしれんな……それより、いい加減起きたらどうだ?」 「う〜……血が足りないのよ〜……ねぇ、あんたの血、分けてくれない?」 「……全く……」 仕方なく血を分け与えた後、話を聞いた。 それによると、特に何事もなかった館に、突如として見た事もない異型の魔物が出現し、 館を荒らした上、更に奥を占領している、と言う事だった。 「もう大変なのよ〜。ねぇ、あんた達で何とかしてくれない?」 「まぁ、それで被害を出されても困るからな……何とかしよう。」 「う〜ん……」 何やら彼女をまじまじと見る幽羅。 何か気になる所でもあったのだろうか。 「ん?どうした幽羅?」 「いや……この子の着ている服、かわいいなぁって……」 「……あのなぁ……」 今、そんな事を気にしている場合か……まぁ、気が紛れたのならいいが。 「あ、同じ服何着かあるから、あいつ倒してくれたら一着あげるわ。」 「ほんと!?これは頑張って倒さないとね!」 ……緊張感が一気になくなってしまったようだった…… ----- >「奥地に眠る怪物」 「ここから先よ……って、もう厄介な奴がいるわね……」 その場所の少し手前の物陰に隠れ、様子を見る。 既に見張りと思われる魔物が様子を伺っている。 「どうするの?下手に騒ぎを起こしたらまずいんじゃない?」 「そうだな……迂闊に踏み込むのは危険だ……」 「私に任せて下さい。」 雪乃が敵から見える寸前の場所で弓を構える。 音は全く立っていない。 「……捕らえる……」 そして氷の矢が放たれた。やはり音は立たない。 矢は魔物の眉間に命中した、と同時に一瞬にして氷付けになっていた。 「うわ、すご……」 「……行くぞ。」 驚いている彼女をよそに先へ進む。 ……少し豪華な扉だ。気配も強い。 「あ、私はここで待ってるわ。流石に戦いは苦手だし……」 「……そうか、わかった。」 と、言いつつも少し睨む。 「……う〜、変な事はしないわよぅ……」 「分かればいい……よし……一気に行くぞ。準備はいいな?」 改めて問う。皆頷いた。 そして勢いよく扉を蹴破った。 「うわっ、広い!」 「ほう、中々豪勢だな!」 幽羅が驚くのも無理はない。ここはどうやらかなり大きい部屋のようだった。 ……魔物の数もそれなりにいるようだ。 蹴破ったのに驚いたのか、動きが止まっている。 「隙を見せたらなんとやらっ!ええいっ!!」 「そこっ!!」 羽衣は左へ、雪乃は右へ、それぞれ攻撃を繰り出す。 固まっていた敵を薙ぎ払っていく。 「……みんな、お願いっ!」 幽羅の足下に緑色の魔法陣が現れた。 この術は……と、急に身体が軽くなった。 「雑魚に用は無いっ!」 迫り来る魔物達を次々と斬り裂いていく。 しかし、数は一向に減る気配がしない。 「くっ……奥か!」 恐らくは奥に根元がある……そう我は予測した。 何とかしてここを突破しなくては! そう思った途端、更に身体が軽くなった。 ……幽羅のこの術は、ここまで効果は高くなかったはず…… 「咲耶ちゃん!早くっ!!」 「くっ!こいつ等っ!!」 原因はわかる……が、今は目の前の事を何とかしなくては。 一気に敵を押し込んでいく。足元には大量の屍と血。 そして強まる気配。そう、もう少し、もう少しだ……! ----- >「風の怒り」 ようやく敵の親玉と思わしき魔物を見つけた。が…… 「お前は……」 粗方の敵を倒し、奥にいた魔物は、あの時見た物と似ていた。 だが……違う。奴の持つ空気……それが違うのだ。 あれは……羽?本当に悪魔のような…… 「ホホウ、貴様ガ我ガ同胞ヲ殺シタ女カ。此処マデ来ルトハ、流石ダナ。」 「……奴と繋がっている者か……」 「さ、咲耶様……?」 羽衣が思わず後退りする。無理もない、あんな異形の者は見た事がないだろう。 「威勢ガアルノハ貴様ダケカ?笑ワセテクレル。」 「……その余裕も、一瞬で崩してやる。」 手に力が入る。奴は……生かしてはおけない。 「ナラバ来ルガ良イ!貴様ヲコノ手デ捻リ潰シテクレル!」 それは我らが居る場所に飛びかかってきた。 ……一瞬であるが、鋭い爪が見えた。 「幽羅!羽衣!近寄りすぎるな!」 「わかったよ……きゃあっ!?」 幽羅の足元に火の玉が落ちた。 奴は魔法も扱えるのか……近寄れば爪を、離れれば魔法を…… 「くっ、厄介だな……!」 「……捕らえる!」 直後、雪乃が弓を放った……が、簡単に弾かれてしまった。 「なら、これでどうだっ!」 羽衣の火炎弾が奴の頭上から降り注ぐ。 「フン、ヌルイワ!!」 「そんな……!?」 しかし、効いている様子は無かった。 やはり、こうなっては接近戦を…… いや……なんだ、この気配は……!? 「……我、風の精霊としてここに命ず……」 「ゆ、幽羅……!?」 「貴様、ソノ力は……!」 今まで幽羅が唱えた事の無い詠唱……いや、これは……エアリナ? 室内だと言うのに、まるで嵐の前の風…… 雪乃と羽衣も、驚きの表情を見せている。 「……我が道を害する物を斬り刻め!」 「これは……まさか!?雪乃!羽衣!伏せろっ!!」 この魔法は、間違いなくエアリナの物、それも大規模な物だ……!! 身を伏せ、影響から外れるように結界を張った。 「ナ……動ケナイダト!?」 「……貴方は、生かしておけない。ここで消えなさい。」 姿は幽羅……しかし、その言動、そして気配……エアリナの物…… もう、時間が無いと言うのか……? 「キ……貴様ァァァッ!!」 「……散れ。」 「グアァァァァァッ!!」 断末魔……切り刻まれていく体。 血や肉さえも吹き飛ばし、収まった時には、それの跡形も無く消し去っていった。 と、同時に幽羅の体ががくりと傾いた。 「幽羅っ!」 倒れそうになった所を何とか支える。 意識は無い……が、息はある。 「……戻ろう。ここに長く居ても意味は無い。」 「あの……幽羅さんは大丈夫なんですか?」 「ああ、大丈夫だ……」 エアリナは……焦っている。本当に、時間が無いのだろう…… だが……後遺症を残してしまったら無意味だ……どうするのだ、エアリナ……? ----- >「まだ晴れぬ行方」 ……また、霧の中。 ここは何処なんだろう?来た事があるような場所…… 「……お願い……早、く……」 「あっ……!」 はっきり聞こえた……誰の声なの……? でも、この声……何処かで聞いた事があるかも…… 少し、霧が晴れてきた……なんとなく、見えてきた…… 「ここって……もしかして……」 ちょっとしか見えなかったけど……そう、ここは……私の…… 「幽羅!」 「あ……咲耶ちゃん……」 幽羅が目を覚ました。表情は硬い。 「よかった……心配したぞ。大丈夫か?」 「うん……大丈夫。」 館の一室を借りて、幽羅をベッド寝かせておいた。 かなり消耗が激しい……無理もない、あんな大魔法を使ったんだ。 体への負担も相当なものだろう…… 「あ、目が覚めたのね。よかったわ〜……何か凄い音がすると思って入ったらこれだもの……」 「……すまないな。」 「いいのよ。おかげで厄介な奴もいなくなったし、これぐらいなら良くある事だわ。」 「……よ、良くある事なんですか……」 羽衣が言うのも無理はない……良くある事なのか? だが、そんな事はどうでもいい。何しろ…… 「幽羅……」 「また……見たんだ。今度は、もっとはっきりしてた……声も、聞こえた……」 「そうか……」 幽羅の体を媒体にして、無理に術を発動させた。 あの強さの魔法は、そう多くの者が使える代物ではないのだ。 幽羅も、精霊の中では上位の存在とされてはいるが、まだ力が足りない所もある。 それなのに、あやつは…… 「まぁ……あれね。暫くはここで休んで大丈夫だから。後の事は、私たちで何とかするわ。」 「助かる。ああ、それと……」 「何かしら?」 「後で、どうしてこうなったか聞かせて欲しい。少々、理解しかねる部分もあるからな。」 「わかったわ。」 幽羅も心配なのだが……それと同じく、何故ここにあのような魔物が住み着いたのか、 その理由がよく分からないのだ。一体、何を目的としていたのか…… 「すまない、雪乃と羽衣は幽羅の様子を見ていてくれないか?」 「咲耶様はどちらに?」 「あの部屋の様子を見てくる。少々、気になってな。」 何か、手がかりがあるかもしれない。 もう一度、あの部屋へ行って見る事にした。 「……はぁ。」 「幽羅様……大丈夫ですか?」 「うん、大丈夫。」 ……あの声。やっぱり何処かで聞いた事がある気がする。 でも、誰だったっけ……もう、随分前の事なのかなぁ。 「でも、あの時の幽羅さん……まるで、別人みたいでしたよ。」 「そうでしたね……」 「え?何が?」 「あれ?覚えてないんですか?」 羽衣ちゃん……それに雪乃ちゃんも…… 何の事なんだろう?もしかして、私が気を失ってる時に、何かあったのかな? 後で聞いてみよう…… ----- >「住処」 「……酷いものだな。」 「そうねぇ……」 大部屋は荒れに荒れていた。 占領されていたせいもあったが、何よりあの魔法の影響が大きいだろう。 「まぁ、ここの部屋って元々使ってなかったから酷かったんだけど。」 「それを狙われたか?」 「かもしれないわね〜……」 今は何も気配がしない。残り香すらない。 「……ここを選んだのは、やはりエリアスに近いからか……」 「そうかもしれないわ……私、あいつらが何か話してたの、盗み聞きした事があるんだけど……」 「何を言っていた?」 「んーと……エリアスを葬れば世界は混乱するとか何とか……」 「……本格的に狙っていたようだな。」 やはり、エリアスを崩すつもりだったのか…… あの魔物が居た場所は、血の一滴も残されていない。 残骸はおろか、気配すら消し飛ばす程の魔法…… エアリナは焦っている。引継ぎがもし、遅れれば…… その影響は確実に、全ての世界に影響する。 「それにしても、あの子がやったの?これ。」 「……一応、な。」 「ふ〜ん……ま、こっちとしては厄介事が無くなって助かったけど……あ、そうそう。」 「何だ?」 我が戻ろうとした時、呼び止められた。 「後であの子に服、渡しておいてくれる?頑張ったご褒美、なんてね。」 「……わかった。」 約束していた通り、服を受け取った。 これで、少しは気分がよくなってくれればいいが…… 「幽羅、もう大丈夫なのか?」 「うん、平気だよ。ごめんね、心配させちゃって……」 「いや、いいんだ……」 部屋に戻った時、幽羅はもう起きていた。 一応、体力は回復したようだ。 「あ、咲耶ちゃん、もしかしてそれって……」 「ああ、約束通りだな。戻ったら試しに着替えてみるのもいいんじゃないか?」 「うん!」 幽羅に笑顔が戻った。やはり、幽羅は笑顔が一番だ。 「さて、では帰ろうか。世話になったな。」 「いいのよ。後の事は、私達でやるわ。」 「うむ。では、行くか。」 帰ったら報告書を書く必要がある。 だが……少々面倒だ。何しろ、本来存在すべきでない存在がそこにいたのだ。 この件は、水面下でなければならない。厄介な事だ。 その日の夜。 館に戻り、自分の部屋でゆっくりと本を読んでいた時の事だった。 「咲耶ちゃん、入るよ?」 「ん?ああ。」 来たのは幽羅だった。やはり、今日の事だろうか。 「あのね……今日、雪乃ちゃんと羽衣ちゃんに聞いたんだけど、私が別人みたいに見えたって……」 「……ああ、そうだったな……」 ……当然だろう、な。雪乃は恐らく感づいたかもしれないが…… 「でも私……その時にはもう何が起こってたかわからないの。意識が無かった……」 「意識を失う直前、どんな感覚だった?」 「なんだろ、突然何かが割り込んできた感じだった……」 恐らくはエアリナの干渉。強制的に幽羅の意識を封じさせたんだろう。 「でも……凄く、懐かしい感じがした。ずっと前に、感じたような……そんな気がする。」 「……あの時のお前は、本当に別人のようだった。あの強烈な魔力は……何か、別の意思が動いている。」 「咲耶ちゃん……本当は……ううん、なんでもない……」 「幽羅……」 ……気づかれたか。だが、仕方あるまい…… 「ごめんね、もう大丈夫……私、もう寝るよ。」 「ああ……おやすみ、幽羅。」 無言で部屋を出ていた。表情は暗かった。 「……我に出来る事は……」 ……もう、我に出来る事は殆ど無いだろう…… 後は……そう、幽羅自身で何とかするしかないのだ…… ----- >「最後の会話」 深い森と、そこに吹き抜けてく風。 高い木に登れば、見渡す限り緑の世界。 ここは、私の住んでいた場所。 風と森の空間……でも、どうして夢で……? 咲耶ちゃんは何か知ってる……でも、きっと聞いちゃいけない事なんだと思う。 「早く……ここへ…………お願い……」 もっと……もっと、声の近くに。 何処かで聞いた事がある……この、声に。 霧は少しずつ晴れてきてる。間違いない、ここは風と森の空間…… 「……急がなきゃ……」 時間が無いような、そんな気がする。 早く、声の傍に…… 「……はふ……」 ……また、途中で目が覚めちゃった。 あの声が誰なのか、わからないけど…… でも、絶対何処かで聞いた事があるはず。 何とかして、声のする場所に行かなくちゃ…… この情勢の中、珍しく今日は暇だった。 一日暇だったが、何故か気分が晴れていない。 夜、窓を開けると、涼しい風が吹き抜けた。 「……我の過去、か……」 今はこうして自由にしている。 だが、あの時……我は、戦いに縛られていた。 精霊と言う身でありながら、戦い続けたあの日々…… 「……ふぅ。」 これ以上考えるな……もう、過去なのだ。 今は今なのだ、深入りしてはいけない…… 「……咲耶。」 「……エアリナか。」 気配はしていた。だが、乱れが生じている。 ……本当に、時間が無いのだな…… 「早めに、お別れを言っておこうと思ってね。もう、こうして話す事も出来なくなりそうだから。」 「……そう、か……」 「あたしとしては、もう少しスッキリした形にしたかったんだけどもね……」 「無理はするな……ただでさえ不安定なのだ。崩壊させてしまっては元も子もないぞ。」 崩壊させてしまえば、二人は消え、世界の秩序も乱れる。 過去に何度か、そうなってしまった事があると聞いた事がある。 かなり、悲惨な事になっているようだ…… 「そんなの分かってるわよ。分かって……」 エアリナらしくない、自信の無い声。 ……無理もないが、な…… 「……手順はどうするつもりだ?」 「まずは、この子の姿を借りて何とかするって所かしらね……」 「そうするしかなかろう。だが……今こうしていられるのは、ある意味肉体を持っているからでもあるぞ。  肉体との関連付けが無くなった状態、これをどうするつもりだ?」 「……関連付けが無くなった瞬間に、引継ぎ用の空間を出す。これ以外に方法は無いわ……」 ここまで複雑な引継ぎの手順は聞いた事が無い。 だが、これしか手段は無い。それは本人が一番分かっているだろう。 「一瞬でも機会を逃せば終わり、か……この状況では仕方あるまいか。」 「あたしらしくないわね、ほんと……でも、やるしかないわ。しくじったらごめんなさいね、咲耶。」 「縁起の悪い事を言うな。落ち着いてやれば大丈夫だろう。」 「そうね……」 エアリナも窓の傍に立った。爽やかな風が吹いている。 「ねぇ咲耶……最後に、お願いしてもいいかしら。」 「何だ?」 「……この子の事、改めてお願いするわ。きっと、大精霊になってもっと辛い事になると思うから……」 「……ああ、任せておけ……」 「ありがとう、咲耶……」 二人で空を見上げる。雲は少ない、綺麗な星空だ。 「それじゃあ……咲耶。今まで、ありがとうね。」 「ああ……」 「もしかしたら、また精霊として生まれ変わるかも?なんてね。」 「ふふっ、そうだといいな。」 最後の笑顔。もう、エアリナには会えなくなる。 「……本当に、お願いね……」 「……ああ……」 そっと手を繋ぐ。そしてそっと、抱き合った。 これで……本当に、最後の…… ----- >「気分転換」 「よっ!それっ!ええいっ!」 庭に幽羅の声が響いている。 珍しく一人で武術の訓練をしていた。 我はそれを近くに置いてある椅子から眺めていた。 「とりゃー!……おわっとと!?」 「む……」 連続回し蹴りの途中、体勢を崩したか、尻餅をついていた。 「いたた……」 「久しぶりの大技は失敗か?幽羅。」 「うー……咲耶ちゃんの様にはいかないね〜……」 今日の幽羅は運動用の軽装だった。 頭には金色の鉢巻をしている。 「しかし、いい動きをしているな。風魔法の補助なしでそこまで動ければ上出来だ。」 「う〜ん、でももっとちゃんと出来ればなぁ……」 「何、無理をする事もないだろう。後は風魔法の補助も利用すればいい。」 「わかったよ。よ〜し、もう一回だ!」 手に持っている翡翠の輪が煌く。 目にも留まらぬ、拳と足の連続攻撃。 風魔法の補助も入り、その動きは素早いのに安定している。 「はっ!たぁっ!ええいっ!!」 「おお……今度は上手くいったか。」 失敗した蹴りも今度は綺麗に決まっていた。 「ふぅ……流石に疲れたなぁ。」 「一旦休んだらどうだ?今まで殆ど休みなしだったぞ。」 「うーん、そうだね。ちょっと休むよ。」 幽羅は隣の椅子に座った。かなり汗をかいているようだった。 息も少し上がっている。 「大丈夫か?」 「ちょっと疲れちゃったけど、大丈夫だよ。」 「そうか……それにしても、どうして急に練習をしようと思ったんだ?」 「ん〜……気分転換、かなぁ。最近、あの夢をよく見るんだけど……」 「……何かあったのか?」 エアリナの干渉が強くなってきているのか…… 幽羅は、それを少しずつ理解しているのだろうか。 「ううん、大した事じゃないんだ。それに……」 「それに?」 「きっと、この事は自分の力だけで何とかしないといけないと思う。」 「……そうか。」 意識はしているようだ……我が手を出す事もなさそうだ。 そう、これは幽羅自身が、己の力のみで解決するべき事項なのだ。 大精霊の引継……我でも、神王も介入出来ない…… 「よっし、もうちょっと頑張ろうっと!」 「今度は我も立ち会おう。」 「あ、本当に?じゃあお願いっ!」 たまには、こうして手合わせするのもいい。 これで、少しでも幽羅の気分が戻ってくれれば。 「よ〜し、いっくよ〜!」 「さぁ来い!」 幽羅の鋭い攻撃……うむ、成長したな。 まだまだ、幽羅には未来があるのだ。この引継で、それを閉ざさぬよう…… ----- >「夜風に吹かれて」 その日の夜。空には多くの星が輝いていた。 一人、窓からそれを眺める。 ……涼しい風だ。昨日を思い出す。 「エアリナ……」 二度と言葉を交わす事の無い友の名を呟く。 存在が消え、力は引き継がれる。力を持ち続ける事は出来ない。 何れは、限界が来るのだ。そう、それは、我にも…… 「……何を恐れているのだ……我は……?」 この心の揺らぎは何だ。過去に対する物か?未来に待つ死か? ……我とした事が…… 「咲耶ちゃん、入るよ?」 「……幽羅か。いいぞ。」 寝間着姿の幽羅が入ってきた。 「寝なくて大丈夫なのか?」 「ううん、寝る前に、咲耶ちゃんに聞きたい事があるの。」 「何だ?」 幽羅は真剣な表情をしている。 恐らくは、エアリナの事だろう…… 「咲耶ちゃんは……私の夢の事、本当は知ってたの?」 「……ああ。」 「……やっぱり、そうなんだ……」 俯く幽羅。仕方ないとは言え……心苦しい。 「すまない、幽羅。だが、これはお前の事を考えて……」 「ううん、いいの。私は大丈夫。」 「幽羅……」 幽羅が我の隣に立った。遠い夜空を見ている。 「この夢の事は……きっと、誰にも頼っちゃいけない事なんだと思う。  咲耶ちゃんも、それを分かっていて言わなかったんでしょ?」 「ああ、そうだ……」 「だったら、咲耶ちゃんが知ってても、もうこれ以上は聞かないよ。自分の力で、何とかする。」 「幽羅、お前は……」 その言葉には、明確な意思があった。己の力だけで、終わらせると。 「大丈夫だよ。私だって、ちゃんとやるべき事はやらなきゃ。」 「そう、だな……」 「だから、咲耶ちゃんは心配しなくても大丈夫!すぐに解決するよ!」 「ふふっ、そうだな。それでこそ幽羅だ。」 力強い笑顔。ああ、幽羅の事なら心配は無用だろうな。 我の思い違いなのかもしれない…… 「……もう寝ておけ。今日はもう疲れているだろう?」 「うん、そうするよ。それじゃあ、咲耶ちゃん、おやすみ。」 「ああ、おやすみ、幽羅……」 そっと部屋を出る幽羅。こうして話している間も、気配にはエアリナの物が混じっていた。 だが、大丈夫だろう。幽羅のあの強い意志があれば、問題は無い。 「……ああ、心配は無いさ……」 己自身に言い聞かせる。 大丈夫だ、幽羅なら、やり遂げてくれる…… ----- >「夢の中を駆ける」 少しずつ、霧は晴れてきてる。 そう言えば、ここには長い間戻ってないなぁ…… でも今は、目の前にある事を何とかしなくちゃ。 「ここへ……早く……」 声が聞こえる。前よりはっきりしている。 絶対に、何処かで聞いた事のある声。 私に深く関係のある、この声。 「こっちは違う……こっちでもない……うーん……?」 晴れてきてるって言っても、まだ全部晴れたわけじゃない。 頼りになるのは声だけ。その声も、ずっと聞こえるわけじゃない。 ……思い出さなきゃ。こんどはこっち…… 「あっ!」 少し開けた場所に出た。ここって、確か……あの、広場かな…… 「……うぅん……」 そこで目が覚めた。 ちょっとずつだけど、ちゃんと近づいてる、そんな気がする。 もう少し、もう少しで……あの声の場所に…… 「……やはり、気づいていたか……」 「あっ、これって……神界からのお手紙?」 羽衣が手にしていたのは、神界からの手紙だった。 純白の紙に青い特殊な文字で書かれている。 「その通りだ……我は、神王と繋がりがあるからな。」 「そ、そうだったんですか……でも、手紙が来るって事は、何かあったんですか?」 「ああ……だが、これは幽羅に関わる事だな。」 「え?」 文面は普段のあやつからは少し考えられない真面目な文だ。 無論、神王である以上、普段から威厳のある所を見せて欲しいものだが…… 今、それは問題ではない。 「……羽衣、すまない、少し一人でいさせてくれ……」 「あっ、はい。」 一人、手紙を持って部屋に戻った。 そして椅子に座り、改めて手紙を読み直す。 やぁ咲耶。そちらでは元気にやっている? こっちは事務仕事に、今そっちでも確認できているであろう、 魔物の存在に関しての仕事で少し忙しいよ。 さて、こちらでも感じる事が出来たけど…… エアリナ……もう、時間が無いみたいだね。 後は幽羅ちゃん次第だけど……正直、どうなるか…… 何しろ、状況が特殊なんだ……でも僕は、幽羅ちゃんなら出来ると思っているよ。 あの子は明るいし、元気で、それでいてしっかりしている。 彼女なら、きっと大丈夫だ。 咲耶も、応援してやって欲しい。 それと……魔物の事だけど、最近動きが更に活発になってきている。 恐らくそちらにも影響は出ていると思う、十分に警戒して欲しい。 それじゃあ、また機会がある時に。 「……問題は多い、か。」 幽羅の事は気になる。だが、同時に世界に対する侵食も起こっている。 なるべく早く、これらの事項にケリをつけなくてはならない。 ……課題は、多く残されているのだ。 ----- >「白い狼」 手紙はその一通だけではなかった。 依頼の手紙も一通届いていた。 「これは……ふむ、そう難しい内容ではなさそうだな。」 依頼内容は、山岳地帯に出没する熊が凶暴化していて、 それを可能な限り討伐してほしい、というものだった。 前にも似たような依頼は受けた事がある。無論、全て無事に終わった。 だが、神王の言葉……もし、その影響が既にあるとすれば、一筋縄ではいかなくなる。 「一応、二人で行くか……」 雪乃は買い物で不在、幽羅は……あの状況だ。ここは羽衣に頼むか…… と、不意に背後から強烈な気配を感じた。 「……咲耶ちゃん……」 「……幽羅?どうした?」 力の混濁……どうやら、開放されない魔力が溜まってきているのだろう。 ……なら。 「その依頼……私が、行ってもいいかな?」 「……構わん。その様子では、少し体を動かしたほうがよさそうだからな。」 「……うん。」 「準備しておけ。すぐに出るぞ。」 武器を携え、全ての準備を整える。問題はない。幽羅はどうだろうか。 「幽羅、大丈夫か?」 「……うん、大丈夫。」 表情に元気さはない。やはり、影響が大きく出始めているのだろう。 「危険と思ったら下がれ。いいな?」 「うん……」 「よし……では行くぞ。」 一路、山岳地帯へと向かう。無事に、事が済めばいいのだが…… 到着し、状況を見たその瞬間から、事態は混迷していた。 「どうなっている……?」 「酷い……」 あちこちにコボルトが倒れている。傷の様子からして……爪によるものだ。 「他の冒険者がやったか、あるいは……熊がやったか。」 「でも、普通はお互いに干渉しないはずだったよね?」 「の、はずだがな……どうやら、影響というのは予想以上に大きく出ているかも知れん。」 ここまで大量に、しかも死骸を残したまま。 普通の狩人でも、ここまではしない。なら、それ以外を考えるのが妥当か。 「警戒していくぞ。何が出るかわからん……」 「うん、わかった。」 幽羅の魔力の昂ぶりを感じる。近距離用の武器を具現化していないあたり、魔法で挑むようだ。 少なくとも、この状況ではそれが正解だと思う。 少し進んだ所で、声が聞こえた。同時に、獣の鳴き声も。 それに……この、気配は…… 「クッ……貴様等如きにッ!!」 低く、太い声。人ではない……これは…… 「行くぞ、幽羅!」 「うんっ!」 走ってその場所へ距離を詰める。そして、その声の主が見えてきた。 「うぉぉぉぉっ!!」 そこにいたのは、白銀の人狼だった。存在は聞いていたが……まさかここで会うとは。 腰に巻いた白い布らしきものが靡く。それ以外は何も身につけていない。 黒い熊達に囲まれ、それに応戦している。 「……はぁっ!」 熊に気づかれない角度から強烈な飛び蹴りを当てる。 それに驚き、動きを止めた所で追撃をかける。 「てやぁっ!」 「力を貸して……お願いっ!」 同時に、幽羅の補助魔法が掛かる。一気に体が浮く感覚がした。 どうやら、あの人狼にも掛かったようだ。 「お前は……!」 「話は後だ!今はこいつらを叩くぞ!」 まだ数は多い。確実に、近くにいる者から叩いて行く。 と、遠くから詠唱の波動を感じた。 「二人とも、伏せてっ!」 幽羅の声が響く。近くの敵を倒したと同時に伏せた。 魔力が開放される。激しい突風が頭の上を掠めていく。 熊の巨体が簡単に吹き飛ばされていった。 中には高らかに宙に舞い、地面に叩き付けられた者もいた。 「何っ……なんて威力だ……」 人狼は驚きの表情を見せている。 「……よし、何とかなったか……」 「二人とも、大丈夫?」 「ああ、助かったぞ幽羅。」 「……桜木の姫に、風の精……まさか、こんな所で会うとはな。」 白銀の人狼の赤い眼が輝く。強い気配、間違いないな…… 「……ここは危険だ。別の場所で話をしよう。幽羅もいいな?」 「ああ。」 「わかったよ。」 一度、この区域から出なくては。まだ気配が残っている…… ここから近い安全な場所は……治癒の聖所、そこに向かう事にした。 ----- >「魔界の白き光」 幸いな事に、治癒の聖所に到着するまで、一度も敵に遭遇しなかった。 気配だけはあったが……出てこなかったという事か。 「……ここは何時来ても、気が安らぐな。」 「そうだね〜……」 過去に、山岳地帯で依頼を受けた際も、必ずここに立ち寄っていた。 ここに居ると、自然と体が楽になる。 「ジエンディアにはこういう場所もあるんだな……魔界とは違うな。」 「ここだけが特殊、と言うべきだな。」 「そうか。それにしても……どうしてあんたがこの世界にいる?」 人狼は地面に座りながら聞いた。 我と幽羅も、向かい合うようにして座った。 「似たような理由だと思うがな、魔界の白き光、クラッド・レイヴァラント。」 「……流石だな、木之花咲耶姫。それと……」 「神樹幽羅だよ。」 「かんなぎ……不思議な名だな。まぁそれはともかく、似たような理由ってのは、神界絡みか?」 「ああ、そうだ。」 今思えば、奴もよく考えたものだ……まさか、一連の事態を予測したのではあるまいな。 まぁ、問題が具現化し始めた頃の奴の様子を見た限りでは、そうでもなさそうだが…… 「へぇ……噂通りだな、あんたと神王の関係ってのは。」 「……どういう噂かは知らんが、余り詮索するなよ。」 「わかってる。これ以上は触れないさ。にしても……」 クラッドは腕に出来た傷を見ていた。治癒効果のおかげで、かなりの速さで傷が塞がって行く。 「あの熊の凶暴化具合は酷いもんだな……この俺に傷を付けやがった……」 「確かに……我らがここに来るまでに、他の魔物の死体を見かけたが……」 「ああ、それも熊の仕業だ。恐ろしいもんだぜ……」 そう、我の予想以上だった。放置していたら、どうなっていた事か…… それに、まだ気配が残っていたと言う事は、脅威が消えたわけではない…… 「正直、助かったよ。長期戦になってたら俺も危なかった。感謝するよ。」 「……ああ。」 「それにしても、あの風魔法にゃ驚いたぜ。見かけによらず強いんだな。」 「そ、そうかな?」 幽羅は少し恥ずかしそうに言っていた。 「ああ、間違いない。将来が楽しみだな?色んな意味で。」 「……何か別の意味が混じってないか?」 「はっはっはっ!気にすんな!」 この男……案外軽い男だな。まぁ、悪くない。 「さて、もう少し休んだらもう一頑張りってとこか?」 「そうだな。ある程度数を減らしておけば大丈夫だろう。幽羅も行けるな?」 「大丈夫!」 少し元気が戻ったようだ。この後も、何とかなりそうだな…… 少し休んだ後、もう一度気配を強く感じる一帯へと足を踏み入れた。 予想通り熊達が襲ってきたが、今度は連携を組み、確実に熊を倒していった。 「よっしゃ、こいつで!」 「これで……トドメだっ!」 完全に息が合った飛び蹴りを一体の胴体に直撃させる。 吹き飛ばされ、そのまま絶命した。 「よし、こんなもんだな。しかし、流石は桜木の姫さん。凄い格闘の腕だな。」 「何、この程度どうと言う事はないさ。幽羅もよく動いていた。」 「えへへ。」 今回は幽羅も近接戦に参加した。我よりも早く動いていた時もあった。 「あんた達がいれば、当分こいつらが出ても問題なさそうだな。俺は一旦魔界に帰るよ。」 「そうか。では、魔王殿によろしく伝えておいてくれ。」 「りょーかい。じゃあ、また会おう。」 そう言って、奴の体が光に包まれ、そして消えた。 「さて、我らも戻るとするか。体は大丈夫か?幽羅。」 「うん、大丈夫。魔力を使って、少し楽になったみたい。」 「そうか……よし、では戻ろうか。」 気配は薄くなった。当分は、出てくる事もないだろう。 それに、幽羅の力の混濁も消えていた。落ち着いてくれたようだ。 しかし……それだけでは、解決にならないのが現状だ…… ----- >「燃えつきかけた意思」 館に戻り、自分の部屋で体を休める。 ……あの、熊達の気配。今までに戦った、あの黒い魔物達に似ている。 やはり、裏で関与していると見て間違いないようだ。 だが、それよりも……今感じる、幽羅の気配。 幽羅はもう眠っている。眠っているのに、感じる強い気配。 ……エアリナ、頼む……あまり、長引かせるな…… 間違いない。ここは、みんなが集まる広場。 おしゃべりしたり、遊んだり……ここで、色んな事をしていた。 そして、薄い霧の、その真ん中に誰かが居る。 考えなくても、分かった。あの声の人だって。 広場の真ん中へ走った。霧の先に居たのは…… 「え……?」 「……ようやく……来て、くれた……わね……」 そこに居たのは、私だった。けれど、声が違った。 声が違うだけで、後は全く変わらない、まるで鏡を見ているみたいに。 けれど……消えかけている。声も、とても小さくて…… 「久し…ぶりに、自分の声で……話せたのに……これ、じゃ…それ程…………せそう、も……」 でも、何処かで聞いた事がある声。 何処か……ずっと前に、そう、この声…… 「……大精霊、様……!?」 そう、この声は、大精霊様の声……! で、でも、どうして……ずっと、行方不明のままだって……!? 「……ここ、では……上手く………話せ…から……空間へ…………急いで……」 声が聞こえなくなっていく。空間……風と森の空間の事だと思う……そこでなら……! 「分かりました!だから……お願いします、まだ消えないで……!!」 「あり、がとう……」 時間がない。そして、このままじゃ危ない事も。 急がなきゃ……空間へ! 「咲耶ちゃん!」 「む、幽羅?どうし……」 幽羅の表情を見て、言葉が詰まった。 まるで、今から戦いに出るような真剣な表情。 そして感じられる気迫……この状況を悟ったか、幽羅。 「一旦、風の空間に戻るよ!多分、咲耶ちゃんなら分かってると思うけど……」 「……ああ。だが、一人で空間を開けるか?」 「え、えっと……それは……」 「だろうな……我が門を開けよう。」 久々に、自分の力で門を開く時が来たか…… だが、幽羅の事を考えれば、行わないと言う選択肢はない。 「もう一度、ちゃんと準備をしておけ。何が起こるかわからんぞ。」 「わかった!」 意思は固いようだ。後は、無事に移動し、そして引継ぎが成功するかどうか、か…… ----- >「力は有れど」 多くの星が輝く夜。 秋の風が吹き抜けて行く。少し冷たい。 時間が掛かるかもしれないと、雪乃と羽衣には伝えた。 何しろ、状況が特殊だ…… 「準備はいいか?」 「うん、大丈夫だよ。」 「よし……少し離れるんだ。」 門を開く先を強く思い描く。まずは、桜木の空間に飛ぶ。 その後は、結衣香に任せよう。我の力では、これが限度だ。 魔力の昂りを感じる。体が熱を帯びる。意識が薄れていく。 だがそれを堪え、そっと手を前にかざす。 「……開け……!」 小さく呟くそして、一気に魔力を開放する。激しい衝撃が身に響いた。 それと同時に、桜木の空間へと繋がる門が開いた。 僅かに、あの桜並木の風景が見えている。 「よし、行くぞ幽羅!」 「うんっ!」 二人で門に飛び込む。体が宙に浮く。そして、一瞬意識が途切れる。 次の瞬間には目の前に桜並木の風景が広がっている。 「くっ……!」 「咲耶ちゃん!?」 着地の瞬間に体勢を崩す。魔力と同時に体力も消耗したらしい…… やはり、慣れぬ事はするべきではないな……この状況ではそうも言ってられないが。 「……大丈夫だ……急ぐぞ。」 「う、うん。」 体勢を持ち直し、走る。結衣香は恐らく空間の門だろう…… ここからはそう遠くない…… 到着した時、丁度結衣香が出てきた。 ……よかった。いなかったら更に時間が掛かっていただろうな。 「あ、あれ?咲耶様!?そんなに慌てて……な、何かあったんですかっ!?」 「結衣香!すまないが、急いで風と森の空間まで、幽羅を連れて行ってくれ!」 「は、はいっ!すぐ準備しますっ!」 急ぎ結衣香に指示を出した。結衣香は準備のためにその場を離れる。 ……と、同時に足の力が抜けていった。思わずその場に手をついた。 「さ、咲耶ちゃん!?大丈夫!?」 「す、すまないな……どうやら、予想以上に消耗してしまったようだ……後は一人でやれるな?」 「うん……大丈夫。咲耶ちゃんは、ここで休んで……無理しないで……」 「ああ……分かった。」 幽羅の手を借りて、何とか立ち上がる。 確かに、休まねば身が持たない…… 「準備できました!いつでも行けます!」 「よし……幽羅。後は、お前自身で何とかするんだ。いいな?」 「分かってるよ……大丈夫。絶対に、上手く行くから。」 その表情には、確かな自信があった。 ……成長しているな、幽羅…… 「そうだな……」 「それじゃあ、行って来るよ!」 幽羅は笑顔で門の中へ飛び込んだ。 頼むぞ幽羅、エアリナ……我は、友を失いたくないのだ…… ----- >「風のように」 門を抜けた先……久しぶりだなぁ。 最後にここに来たのは、かなり前だった気がする。 風と森の空間、私の生まれた場所で、住んでいた場所。 とっても綺麗で、静かな場所……私が大好きな空間。 『……聞こえるかしら?』 「ふぇっ!?」 『そんな素っ頓狂な声出さなくても……』 突然、大精霊様の声が聞こえた。まるで、頭に直接響くような…… というか、周りに誰もいなくてよかった……凄い変な声だったし。 『やっぱり、ここに居る間は安定するようね……  この調子で、引継ぎも上手く行ってくれるといいのだけれど。』 「あの……どうして、大精霊様は私の……えっと、私の中に……?」 『そうね……その事を含めて、それは然るべき場所で話すわ。そう、聖域でね。』 「聖域……!?」 精霊達が集まる場所に、かならずある神聖な場所……それが、聖域。 咲耶ちゃんのような、大精霊とその身近な人しか入れない所…… そこに、私が……?でも……それしか、考えられないかな。 『……場所は、分かってるわよね?』 「はい……」 『なら急いで。余り時間が掛かると、手遅れになるわ。それは貴方にも分かっているでしょう?』 「……はいっ!」 急がなきゃ。聖域に……無事に済ませて、帰らないと。 場所は、あの広場からもう少し先、森の中にある。 私も何度か入り口近くまで行った事がある。 何か、あそこにはある……精霊達の力の元になる、何かが。 「うん……!」 私は一番の速さで飛んだ。 空に上がって、まずは広場へ。 「あれ?お〜い!幽羅ちゃ〜ん!」 「あっ!ご、ごめん!話は後で〜!」 「きゃっ!?……どうしたのかしら、あんなに急いで……」 途中、友達が話しかけてくれたけど、ちょっと返事をするだけにした。 もう少し先……地面に降りて、今度は走った。 細い道……だんだん暗くなってくる。 「あっ……」 着いた……ここが、聖域の入り口。 緑色の魔方陣で、封印されている。これをどうにかできるのは、その空間の大精霊様だけ。 『着いたわね……封印の前に立って。』 「わ、分かりました。」 封印の目の前に立つ。でも、どうやってこれを……? 『貴方の体を少し借りるわよ。封印に手をかざして。』 そっと、封印に触れてみる。冷たい…… 『意識を封印に向けて。少し衝撃が来るかもしれないけど、我慢してね。』 封印だけ見る。隙間から、奥が少しだけ見えた。 「……開け。」 口が勝手に動いた。それと一緒に、封印も静かに消えて行った。 「……あっ。」 『ふぅ……無事成功ね。大丈夫だった?』 「は、はい。」 『それじゃ、奥に行きましょうか……そんなに緊張しなくて大丈夫よ。気分を楽に、ね?』 大精霊様が優しく言ってくれた。ちょっと、楽になった。 ゆっくりと、歩いて奥に進んでいく。だんだん、寒くなってきた。 向かい風が吹いてる。まるで、入れさせてくれないように…… でも、歩いた。奥にある、聖域に…… ----- >「想う心」 「……幽羅……」 桜木の空間、その聖域。羽衣の一件では肉体があるまま入ったが、 今は天音の力を借り、一時的に精神と肉体を切り離し、精神体として身を休めていた。 久々にこの桜木の着物の姿になっていた……気が安らぐ。 魔力等の回復は、肉体を持っている時より遥かに早い。 が……まるで眠っているような我が肉体を横目に休むというのは、中々不思議な感覚である。 「咲耶様……大丈夫ですか?」 「ああ、大丈夫だ。心配かけてすまないな、天音。」 「いえ……咲耶様が門を開いたと言う事は、何か一大事がある時なので、  もしやと思ったのですが……幽羅さん、大丈夫でしょうか……?」 「……幽羅ならやり遂げてくれる。エアリナもいる。後は祈るだけだ……」 こういう時、己の無力さを知る。 戦いの場においては頼られる我であっても、幽羅には声を掛けてやる事しか出来なかった。 ……仕方のない事ではあるが…… 「……すまない、天音……少し、眠らせてくれ……引継ぎが始まれば、それで気づく……」 「はい……お休みなさいませ、咲耶様。」 今は無事を祈りながら眠ろう……終わった時、疲れている顔では幽羅に心配されてしまいそうだ。 咲耶様と幽羅さんがいなくなって、静かな館。 大精霊の引継ぎ……話は聞いた事があったけれど……まさか、幽羅さんが…… 「あの……雪乃さん……咲耶様と幽羅さんは……大丈夫でしょうか?」 「……大丈夫ですよ。必ず、戻ってきてくれますから。」 雪乃さんの言葉には、確かな自信があった。 それはきっと、僕以上に長い間、咲耶様と幽羅さんと一緒に過ごして来たからだと思う。 それこそ長い間、一緒に暮らして、戦ってきたんだ……僕の知らない事も、知っているんだと思う。 「今は……祈りましょう。お二人が笑顔で戻って来てくれる事を。」 「……はい。」 絶対に、大丈夫……そんな気がする。咲耶様と幽羅さんなら…… 暗くて細い道。冷たい向かい風。 どうしても、体が震える。 『大丈夫?』 「……多分、大丈夫です……」 奥に進むのが、とても怖い。何か、入ってはいけない場所に入る、そんな気がして…… 『心配しないで……今、ここには貴方とあたししかいないわ。  今はあたし達以外、この聖域には立ち入る事は出来ない。』 そう言われても、何だか……沢山の目に見られている……そんな気がして。 「でも……」 『……怖いのは分かるわ。あたしもそうだった。どうしてあたしが大精霊に、って。  今の貴方は、昔のあたしと同じ。これは……大精霊になる者として必ず通る道なの。』 少しずつ、月の光で明るくなってきた。 向かい風も止んで、震えも止まった。 『さぁ、もうすぐよ。』 なんだろう、とても、懐かしい感じがする…… ずっと前に来たような……でも、入った事は無い…… 「あっ……」 少し先に、広い場所がある。あそこが、聖域……? 『ふふっ、久しいわね……行きましょう。』 「……はい!」 何だか、とても長かった気がした。 聖域は、もう目の前。私が……大精霊になる場所…… ----- >「風の聖域」 細い道を抜けた先。 月明かりに照らされた、何もない場所。 まるで、そこだけ別の世界のように静かで、綺麗な広場。 ここが……聖域。 『着いたわね……』 「はい……」 『懐かしいわ、こうしてこの場所に来るのは何年ぶりかしら……』 とても気持ちいい風が吹いて、何だか安心できる。 さっきとは全然違う……何処かで、感じた事がある…… 「大精霊様は、何度もここに来た事があるんですか?」 『ええ。一人でゆっくり考え事したい時によく来たわ……』 この感じ。私が生まれた時に、感じたあの空気。 とても優しい、暖かい感じに包まれて…… 「ここで、私が大精霊になるんですね……」 『そう……そして、あたしが消える場所でもある。』 「……怖くは、ないんですか?」 引継ぎをした時、元の大精霊様は消えてしまう……それが決まり。 咲耶ちゃんも、何れその時が来るって言ってた。 けど……自分が消えるなんて…… 『怖くはないわ。こうやって引継ぎを行うのも大精霊の役割だし、 それに……あたしと言う存在が完全に消えるわけではないから。』 「え?」 大精霊になった時、消えない……?どう言う事なんだろう…… 『そうね……例えるとしたら、世界と一つになる、かしら。』 「世界と、一つに……?」 『そう。あたし達精霊は世界から生まれた。だから最期には世界に還る……そう考えているの。  風の精霊は風の化身でもあるのだから……あたしは、世界を吹き抜ける風になる。』 風になる……他の仲間が消える時にも、聞いた事がある言葉。 大精霊様も、やっぱり同じ…… 『残念なのは、本来の体でそれを感じられない事ね……まぁ、これはあたしのミスなんだけれども。』 「……そうだ、どうして大精霊様は……」 『ねぇ、幽羅ちゃん……あたしの事は、エアリナって呼んで。あんまり堅苦しくても、ね?』 「あ……はい。それじゃあ……エアリナ、様……」 そう言われても、やっぱり大精霊様の前……どうしても、緊張する。 『まぁ、それでいいかしらね……それで、何か聞きたい事が?』 「はい……あの、どうしてエアリナ様の体が無くなってしまったんですか……?」 『……そうね……もう、随分前の話だけども……』 何か悲しい感じがした。きっと、この感じは……エアリナ様の物なんだろう…… 『貴方が生まれる、少し前ぐらいかしら。空間に招かれざる客が来てしまったのよ。  混乱を防ぐために、表面上は何事も無かった事になっているけども……』 「招かれざる客……?」 『貴方も見た事がある……異形の魔物……まさか、空間を干渉してくるとは思ってなかった……』 「そ、そんな……エアリナ様は、それに……」 あの魔物が……精霊界に……!? そんな、事が……だからエアリナ様は、体を…… 『……詳しい事は、引継ぎの時に分かるわ。咲耶から引継ぎの事は聞いたかしら?』 「はい。引継ぐ時に、一度元の大精霊様の記憶を辿るって……」 『ええ、その時に全てが分かるわ……引継ぎで一番負担になるのだけれども……』 ……咲耶ちゃんから聞いた事がある。 引継いだ時、力以外にも、前の大精霊様の記憶も引継いで行く。 そして、最初に一度、その記憶を、部分的に辿って行く…… その時が最も体に負担が掛かるって…… 「本当に、私で大丈夫なんでしょうか……?」 『……貴方は、今まで咲耶の傍で一緒に戦ってきた。そうでしょう?』 「でも……」 『大丈夫。自信を持って……貴方なら上手く行くわ……』 私が、大精霊になる……少し前まで、そんな事一度も考えた事は無かった。 でも……今はもう、それが目の前にまで来ている。 ここまで来たなら……もう、逃げちゃダメなんだ。 他のみんなのためにも……私が、大精霊になるんだ。 「……はい。」 『いい返事よ……さぁ、始めましょうか。』 ……みんな……私、頑張るよ……! ----- >「始まりを告げる風」 「咲耶は……疑問に思った事はない?自分の力について。」 「……ある。おかしいのだ、我の力は。我は桜木の精霊だ。なのに、何故……」 「私にもまだ分からない……けど、もしかしたら、この後の戦いで分かるのかもしれない……」 「……妙な話だ……」 結局、我自身の事は分からぬまま。 この戦いで、一体何が分かると言うのだ……? また、夢を見た。そして自然と目が覚めた。気配の流れが変わっている。 意識を深層に沈めていても、それを感じる事が出来る。 いよいよ、始まったか…… 「咲耶様……」 「天音……ずっと傍に居てくれたのか?」 「はい……その、ずっと咲耶様の事が心配で……」 「そうか……ありがとう。」 天音の心遣いが嬉しかった。 過去に何度も引継ぎの場面を見たり、感じたりして来た我でも、今回ばかりは不安だった。 「……我ならもう大丈夫だ。恐らく、向こうでも感付いてくる頃だろう。」 「準備、致しますか?」 「ああ……そうしよう。」 今回は引継ぎの場面に立ち会う事は出来ない。ここで、終わるのをただ静かに待つだけだ…… 我が風の空間に飛ぶのは、終わった後。その為の準備をしなくては…… 「幽羅……」 どうか……無事に終わってくれ…… とても冷たい風。幽羅様も、同じ風を感じているのでしょうか…… まるで、雪原に吹く風のように…… 「雪乃さん?」 「あっ……羽衣様。」 私はずっと外にいた。幽羅様と咲耶様の事をずっと考えていた。 「ずっと外にいますけど……寒くないですか?」 「……私は、大丈夫ですよ。寒いのには慣れていますから。」 「そうですか……あの、僕は先に寝ますね。」 「はい。おやすみなさいませ……」 ……精霊や神々の世界は、人では全てを理解する事が出来ない。 それでも、私は咲耶様や幽羅様、羽衣様と共に暮らす事が出来る…… いえ……精霊だとか、神だとかはもう関係ないのかもしれない。 「大切な、家族……」 私にとって、大切な存在……身近に居てほしい存在…… きっと、咲耶様も同じように思っている……そんな気がする。 「無事に……戻ってきてくださいね……」 私の言葉は暗い夜空の中へ消えて行った。 届かないとは分かっていても……それでも。 信じられないぐらいに力が高まっていくのを感じる。 普段の私なら、耐えられないぐらい……でも、辛くない。 冷たい風。みんなが、ざわついている。 「……んっ……」 『大丈夫?』 「大丈夫です。ちょっと、寒くて……」 ここに来るまでの時みたいに、また寒気がする。 でも、今は……何が起きても、大丈夫な気がする。 『貴方は、ここまで高い魔力を感じた事は無いわよね?』 「はい……」 『でも、こうして無事でいられるなら、きっとこの後も平気ね。 普通であれば、これ程の魔力はあたしでも上手く扱えるか微妙なのよ。』 何となく、嬉しそうな感じがする。こうして引継ぎ出来る事が、嬉しいのかな。 でも……エアリナ様はこの後消えてしまう。 『……魔力が十分に高まったら、引継ぎ用の空間を展開するわ。  その時肉体との関連性は切り離されるわよ。衝撃が来ると思うから、気をつけてね。』 「わかりました……頑張ります。」 『ふふっ。気合は十分ね。それじゃあ、始める前に……あたしに聞いておきたい事はあるかしら?』 「聞いておきたい事……」 間違いなく、何かを聞く事が出来るのはこれが最後。 少し……気になった事を聞いてみよう。 「それじゃあ……咲耶ちゃんとは、どういう……?」 『咲耶とは……まぁ、長い付き合いというか……色々とお互いに支えあった仲かしら。』 「そうだったんですか……」 『貴方も知っていると思うけど……咲耶は、色々な物を背負っている。少しでも力になりたかったのよ。』 背負っている物……そう、咲耶ちゃんは、あの戦いで…… 今でも、たまに凄く辛そうな時がある…… 『……これからは、貴方が咲耶の力になる番。同じ大精霊として……親しい友人として。  あたしの記憶も引き継ぐだろうから、それで……分かると思うわ。辛いかもしれないけれど……』 「大丈夫です。私は……ずっと、咲耶ちゃんの傍にいました。だから……」 もっと、咲耶ちゃんの力になりたい。少しでも多くの事を手伝いたい。 私はもう、子供じゃないんだ…… 「なります。私が、大精霊に!」 『ええ。貴方なら、必ず上手く行くわ。それじゃあ、始めましょう。』 「はいっ!」 今度は、私が咲耶ちゃんの力になる番。 エアリナ様がしたように、私も。 ----- >「大精霊の引継ぎ」 『それじゃあ……いくわよ。一旦、貴方の体を借りるわ。』 「……はい。」 始まった……私が、大精霊になる為の、大切な儀式が…… 「風の大精霊が命ずる……」 口が勝手に動く、不思議な感覚。そしてエアリナ様が唱え始めた瞬間、一瞬意識が薄くなった。 「うっ……んんっ……」 『……しっかり。貴方なら大丈夫よ……』 意識を集中して、倒れないように気をつける。信じられないぐらいの、力が…… 長い詠唱……ううん、本当は短かったのかも。でも、私にはとても長く感じられた。 そして…… 「……これより、引継ぎを行う。」 そう言った瞬間、私の中の何かが弾け飛んだ気がした。 そして、何も見えなくなった…… 「ここは……?」 次に風景が見えた時、そこは、風の空間の広場だった。 ただ、何かが違う……何も、気配を感じられない。 目の前には……私が、居た。 「ここが、か……因縁って言うのは怖いわね……」 「エアリナ……様?」 「結局、最期まで本当のあたしの姿を見せられなかったわね。  空間を出した時ぐらい、過去の記憶から拾ってくれるものだと思ったけど……  そう甘くは無かった、か……」 見た事のある服。あの服って……確か、上位の精霊が着る、あの…… 「ごめんなさいね、最期まで……あたしも貴方に頼っていたわ。」 「そんな……エアリナ様が悪いんじゃないです。」 「ふふっ……ありがとう。貴方は優しいのね。」 目の前にいる私は笑顔だった。不思議な感覚、でも、おかしくは無い。 「その優しさ……絶対に、忘れないでね。咲耶は……それを、忘れる時があったから。」 「忘れる時……それって、もしかして……」 「もしも咲耶が道から外れそうになった時……その時は、止めてあげてね。」 「……はい。」 咲耶ちゃんは、時々自分を見失うんじゃないかって思う時があった。 戦っている時の表情とか……怖い時があった。 仕方の無い事かもしれない。だって、咲耶ちゃんはあの酷い戦いを知っているから。 でも……今の咲耶ちゃんは違う。みんなと一緒に居る。だから……もう、変わって欲しくない。 「私が……支えます。」 「お願いね……あたしからの約束よ?」 「はいっ!」 私にしか出来ない事が、きっとある。その為に、私はもっと強くならなくちゃ。 この引継ぎを終わらせて……もっと、咲耶ちゃんの力になる為に。 「……時間ね。一番の衝撃が来るから……覚悟してね。」 「分かりました。」 「さぁ、眼を閉じて……」 目の前は真っ暗。でも、怖くは無かった。 ううん、怖がる必要なんて無かった。これは立派な事。精霊にとって必要な事だから。 「……我が大精霊の力を、汝に……」 何か、凄い力が上から圧し掛かっている、そんな感じがした。 苦しい……でも、我慢しなくちゃ。 今度は、何かが頭の中に流れ込んでくる感じ……これって……エアリナ、様の…… 「聞こえる、かしら……最期、に……貴方に、伝えて……おきた、いの……」 エアリナ様の声だけが聞こえた。私の意識も、少しずつ薄くなってきていた。 「咲耶、は……一、人で……全てを抱えてる、から……それを、少しでも……軽くしてあげて……」 声が小さくなっていく。私も……何だか、眠く…… 「……ありがとう……」 意識が無くなるその直前。 最後に、エアリナ様の声が聞こえた。 ----- >「最期の挨拶」 こうして身体を借りるのも、これで最後になるのかしら。 この子には、色々負担させてしまった……その責任もある。 力の制御が上手く働かない。もう、時間は無いわね…… 早く咲耶に挨拶しておかないと。咲耶は……まだ起きてるわね。 「……咲耶。」 「……エアリナか。」 これが最後の挨拶になりそうね……ちゃんと、言っておかなきゃ。 「早めに、お別れを言っておこうと思ってね。もう、こうして話す事も出来なくなりそうだから。」 「……そう、か……」 「あたしとしては、もう少しスッキリした形にしたかったんだけどもね……」 「無理はするな……ただでさえ不安定なのだ。崩壊させてしまっては元も子もないぞ。」 崩壊。なんとしても、それだけは阻止しないといけない。 「そんなの分かってるわよ。分かって……」 自分だって、もっとまともな形で何とかしたかった。 これはあたしの力不足と不注意が原因の事……自分の事は、自分で何とかしないといけない。 けれど……自信が無い。完全に、無事にこの引継ぎを終わらせる事が…… 「……手順はどうするつもりだ?」 「まずは、この子の姿を借りて何とかするって所かしらね……」 「そうするしかなかろう。だが……今こうしていられるのは、ある意味肉体を持っているからでもあるぞ。  肉体との関連付けが無くなった状態、これをどうするつもりだ?」 「……関連付けが無くなった瞬間に、引継ぎ用の空間を出す。これ以外に方法は無いわ……」 「一瞬でも機会を逃せば終わり、か……この状況では仕方あるまいか。」 あたし自身、無茶な方法だと思う。けど、今はこれしか方法が無い。 もっと簡単で安全な方法があればいいけれど、そんな物は存在しない。 ……不安要素が多すぎるわよ…… 「あたしらしくないわね、ほんと……でも、やるしかないわ。しくじったらごめんなさいね、咲耶。」 「縁起の悪い事を言うな。落ち着いてやれば大丈夫だろう。」 「そうね……」 窓際の傍に居た咲耶の隣に立った。風が気持ちいい…… こうやって風を感じる事も、これが最後なのかも……咲耶に、お願いしておこうかしら。 「ねぇ咲耶……最後に、お願いしてもいいかしら。」 「何だ?」 「……この子の事、改めてお願いするわ。きっと、大精霊になってもっと辛い事になると思うから……」 「……ああ、任せておけ……」 「ありがとう、咲耶……」 綺麗な星空……この子を通じて何度か見たけれど、やっぱり自分の目で一番見るのが一番ね。 ……体は、あたしの物ではないけれど。 「それじゃあ……咲耶。今まで、ありがとうね。」 「ああ……」 「もしかしたら、また精霊として生まれ変わるかも?なんてね。」 「ふふっ、そうだといいな。」 そう、本当に、もう一度……精霊として生まれ変われるなら。 今度はちゃんと、咲耶の傍に居たい……あり得ない事だけれども、でも…… 「……本当に、お願いね……」 「……ああ……」 手を繋いで、抱き合った。咲耶は、とっても暖かい…… こういう風に温もりを感じるのも、もう…… ----- >「風の鼓動」 状況は芳しくない。眠っていた筈のあたしにも、それは感じられた。 魔力の混濁……間違いなく、あたしが原因。どうにかしないといけない。 開放させてあげないと……やりたくは無かったけれども、強制的に意識を奪うしかないわね…… ごめんなさい、幽羅ちゃん…… 「……我、風の精霊としてここに命ず……」 「ゆ、幽羅……!?」 「貴様、ソノ力は……!」 体の負担にはなる、けれどもこのまま戦い続ければ消耗戦になる。 ここで、決着をつけないと……! 「……我が道を害する物を斬り刻め!」 「これは……まさか!?雪乃!羽衣!伏せろっ!!」 咲耶、ありがと……この一発は重いわよ……! 「ナ……動ケナイダト!?」 「……貴方は、生かしておけない。ここで消えなさい。」 これが精一杯……けど、これなら倒せる、あたしのとっておきの魔法……! 「キ……貴様ァァァッ!!」 「……散れ。」 「グアァァァァァッ!!」 あまり使わない魔法……ううん、本来ならば使うはずの無い魔法。生物を切り裂く魔法なんて…… 血も肉も、跡形も残さずに消してしまう。でも、こうでもしないと…… 本当に、ごめんなさい…… 声は届くのかしら……こうして、夢に語りかけていて不安になる。 手段がこれしか無いのだから、仕方ないのだけれども……あの子が、早く気づいてくれれば…… こうして話しかけるのも、結構力を使う。それだけに、長い時間は掛けられない。 お願い、あたしの声を聞いて…… 「急にごめんなさいね……」 「……近いのだろう?」 「ええ……」 星の見えるテラス、そこにあたしは咲耶と一緒だった。 咲耶……ちょっと、前の気配に戻ってるわね。 それよりも、今は…… 「一度、この子を元の姿に戻さないとね。」 「……後どれくらい持つか?」 「どうかしら……わからないわ。ただ安定してない事は確か。」 「そうか……手遅れにならなければいいのだが。」 「変な事言わないでよ。怖くなっちゃうじゃない……」 ……実際は、もう怖い。咲耶の言う通り、もしも手遅れになったら、 あたしがこの子と一緒に消えてしまう……そんな事だってありえるんだから。 「すまない……だがどうする?」 「どうしようもないわよ。とにかく、一度この子に話をしないと……」 まずはそこから……それから始めないと。 ただ……失敗は出来ない。失敗したら、二人とも消えてしまう。 ……そして、力が崩壊する。そうなったら、世界にも…… 「頼むぞ、エアリナ。我は仲間を失いたくない。」 「わかっているわ。絶対に、無事に引き継がせる。」 迷わない。そうでなければ、みんなに迷惑が掛かってしまうもの。 あたしが、何とかしないといけない。 「もう、夏の暑さも通り過ぎたな。」 「そうね……もっと長く感じていられたらなぁ……」 「……また、感じられるさ。この風を……」 「……ええ……」 またあたしとしてこの風を感じる事は出来ない。 でももし、それが許されるのであれば、もう少し……ここに、存在していたい…… ----- >「崩壊する身体」 「……気配は感じていた。だが……まさか、幽羅の身体を借りていたとはな。」 「……仕方ないでしょ。あたしだって予想外だったんだから。」 こんな形で咲耶と話をするなんて、思ってなかった。 あの時、あたしが油断していなかったら…… でも、こうなってしまった以上は、あたしが何とかしないといけない。 「全く、お前も無茶をする……水面下の事にしておいたのは最後の良心か?」 「下手に混乱させるよりはマシだと思ってね。ダメだったかしら?」 「……いや……いいさ。完全に崩壊して、世界の均衡を崩すよりはな。」 「身体を持っても相変わらずなのね、貴方は……まぁ、そこが貴方らしいんだけども。」 そう、あたしと言う存在が完全に消滅していれば…… 今、こうして何事も無かった様にするなんて出来ない。 ……これはこれで、問題なのだけれども……仕方ないわね。 「まぁ、あたしはあたしで問題の解決に全力を尽くすわ。  そうじゃなきゃこの子にずっと迷惑掛けちゃうからね。」 「……頼んだぞ、エアリナ。」 ……あたしが、何とかしないとね。手遅れになる前に…… ここの広場は何時も綺麗でいいわね…… でも……不穏な気配がする。何かが、ここに入り込んだ? 「エアリナ様っ!た、大変ですっ!」 「あら?どうしたの慌てて?」 慌しく入ってくる彼。あたしの予想が当たっていれば…… 「く、空間に、侵入者が!真っ直ぐこちらに……」 「……!危ない、伏せてっ!」 「え……?」 彼の真後ろに見えた黒い影……あれが、入り込んできたって言うの!? 空間を飛び越えてまで殺しに来た……!? 「はぁっ!」 即発動出来る風魔法で足止め……彼も今気づいたけども、ここに来るまで気配が無いなんて…… こんなになるまで放置するなんて……神界は何をやっているの……! 「くっ……厄介な相手ね……」 「か、加勢します!」 「お願い!……さぁ、あたしが相手よ!」 真っ黒な影が飛び掛ってくる……それを風魔法で迎撃する。 ここが広くて良かった……室内だったら、逃げ場が無かった。 「あいつを足止めして!」 「はいっ!」 足止めを頼み、詠唱に入る。お願い、間に合って……! 「……我、風の精霊としてここに命ず……」 あたしが持つ中で一番の威力を持つ魔法……これで、倒せれば……! 「……!?」 不意に、背後から強烈な気配を感じた……けど、遅かった。 直後、激しい痛みが身体を襲った。気配も、挙動も無しに、こんな…… 「がっ……ああっ……」 ……抜かった……まさか、あんな……背後を取られるなんて…… でも、まだよ……まだ、あたしは…… 「はっ……エアリナ様!!」 「ま、まだ……動く……やれる……っ!」 こうなったら……最後の、手段ね……これから生まれてくる子には悪いけども…… その子身体、借りるしかない…… 「……我が道、を……害する物を……斬り刻めっ……!」 それに向かって激しい竜巻が起こる……これで、倒せれ、ば…… ----- >「かつての姿」 「……また行って来たのね、貴方は。」 「仕方あるまい……こうでもしなければ、守れなかったのだ。」 「そう言って、何時も貴方は無理をする。悪い癖よ?咲耶。」 「……それは我の立場を分かった上での発言か?」 咲耶は……変わらない。きっと、これからもそうなんだと思う。 あたしも、そうなんだろうな……この戦いの中で、ずっと無力のままのあたし。 でも、咲耶は……前線で戦っている。何だか、ちょっと寂しい。 「……仕方ない、わね……こればっかりは、あたしにはどうしようもないもの。」 「……すまない、エアリナ……」 「咲耶が謝る事なんて無いわ。ただ……何時も戻って来ると、貴方は傷だらけだから……」 咲耶は、肉体を持って戦っている。精霊の身体とは違う、別の物。 傷つけられれば血を流し、そして下手をすれば命を落としかねない…… 咲耶はそれを理解した上で戦っている。でも…… 「……お願いだから、無理はしないで。貴方が死んでしまったら、あたし……」 「案ずるな。我はそう簡単には死なない。」 「咲耶……」 ……咲耶は、とても強い。それはただ単に力があるだけじゃない。 精神の……心の強さ……それが、咲耶の強さなのかもしれない。 「……お願い、咲耶……無事に、戻ってきてね……」 「……任せておけ。」 また、戦いに赴く。あたしは、ただそれを見守っているだけ…… だけど……それが、あたしに出来る精一杯の事なのかもしれない…… 「えぇ!?」 「……そんなに驚く事か?」 「い、いや……咲耶からそういう言葉が出るなんてね……普段貴方そう言う事気にしないじゃない。」 全く、よく分からないわ、咲耶って……普段あんまり喋らないし、口を開けばこんな感じ。 何考えてるかも分からないし……でも、不思議な魅力があると言うか…… 「……どうした?我の顔に何か付いているか?」 「いや、そういうわけじゃないんだけどね……」 突然、精霊の服について聞くからなぁ、咲耶……我に似合う服はあるか?って。 ……正直、聞く相手間違えてる気がしなくもないんだけども……まぁ、いっか。 「そうねぇ……その格好があたしは一番似合ってるって思うんだけど。」 「……そうか?」 「やっぱり、桜木の大精霊ならその格好が一番だと思うわよ。」 「……そうか。ならば、このままでいいか……」 何だか不思議な感じ……何処か、今までの大精霊とは違う雰囲気を持っている。 今後、もしかしたら本当に咲耶が精霊界を動かす存在になっちゃったりして…… 「ふふっ……」 「何だ?急に笑って……」 「ううん、何でもないの。貴方は貴方らしく、ね?」 「むぅ……」 堅苦しい感じはあるけども、でも何だか可愛いわね。 何だかんだで、咲耶とは色々ありそう。 遠目から見ても、あの子の空気は違った。 何だろう……重々しい感じ。あたしとはまるで違う。 何者も寄せ付けないような、そんな力を纏っている。 「エアリナ様……」 「何?」 ひっそりと横から話しかけられた。そりゃ、大声は出せないわね…… 一応神聖な場だし、こっそりと。 「咲耶様の事、どう思います?」 「そうねぇ……」 大人びた……ううん、もう大人ね。あの子は…… 何だか、恐ろしい事になりそうな気がするのはなんでだろう…… 「あの子は……大物になるわ。多分。」 「大物、ですか……」 きっとあの子は、精霊界を動かす存在になる。 そんな気がする。気のせいな気がするけどね……物凄く堅苦しそうだし。 ----- >「緊張の末」 「はぁ……あたしが、かぁ……」 あんまり、実感が無い。あたしが大精霊なんて…… 数日前にはただの一精霊だったのに、一瞬の出来事だった。 先代の大精霊様の記憶を引き継いだ時……何だか、恐ろしい物を見た気がした。 あたしの知らない所で、苦労していたんだなぁ……それで、今度はあたしが、それを…… 「気が重いわねぇ……」 この先、どうなる事やら……先代様の記憶は一通り辿った。 あたしがやるべき事も、そこから読み取る事が出来た。 それをどうするかは、あたし次第。さて、どうしたものかしら…… 「まぁ、なるようになるかしらね……」 ここまで来たからには、もう戻れない。今のあたしは、ただの精霊ではない。 風の精霊達を統べる大精霊……その意識が必要ね。気合を入れて、頑張りますか。 これから、大精霊としての初仕事、目指すは中央機関。 今日は新しい大精霊として、正式な挨拶をしに行く。 ……でも、何を言うか全然思いついてないのよね。本当、どうしようかしら…… 暗くて細い道。冷たい向かい風のおかげで、かなり寒い。 あたしは、これから大精霊になろうとしている。今でも信じられない。 「大丈夫ですか?」 「は、はい……大丈夫です。」 怖かった。聖域……余程の事が無い限りは入る事の出来ない場所。 そこに、足を踏み入れると言う事は…… 「心配する必要はありませんよ。これは私も通った道。今、この道には私と貴方しか居ませんから。」 彼は笑顔だった。これから消滅するって言うのに。まるで恐怖を感じてない…… 「私も、引継ぎが決まった時は驚きました。そして、私でいいのか?とも思いました。  この道を通った時の事……今でも、しっかり覚えていますよ。」 話しているうちに、何だか寒さが和らいだ気がした。 道も明るくなってくる。これは……月明かり…… 何処か、懐かしさを感じる。けれど、あたしは一度も入った事は無い。 「さぁ、もうすぐですよ。」 少し開けてきた。あそこが、聖域……あたしが大精霊になる場所。 魔力の昂りを感じる。そこに、足を踏み入れる。 月明かりに浮かぶ、綺麗な広場。まるで、ここだけが異世界のような……そんな気がした。 「ここに来るのは……私の引継ぎの時以来、ですね……」 「それまで一度も入らなかったんですか?」 「特別な用が無い限りは入りませんよ。まぁ、それが一番なんですけどね。」 風が吹き抜けて行く。心地よい、少しだけ暖かい風。 昂りを静めてくれるような、そんな風だった。 そう、これは……何時か感じた風…… 「……生まれた時に、感じた風……」 「ええ……ここに吹く風は、風の精霊が生まれた時に感じる風と同じ。」 暖かい、優しい風……懐かしい、感覚。 もしかして、これって……生まれ変わる、と言う意味なのかも…… 「儀式を始める前に……私に、聞きたい事はありますか?」 「あっ……えっと……」 大精霊としての力を引き継げば、彼は消えてしまう。だけど、彼はそれを恐れていない。 消滅してしまうのが、怖くないのかしら……? 「どうして、貴方は……引継ぎに対して、恐怖を感じないのですか?」 「そうですね……私も、完全に怖くないと言えばそれは嘘になります。ですが……」 彼は空を見上げた。とても綺麗な星空だった。 「これが大精霊の役割であり、そして名誉でもある……誇れる事なんです。  それに……私と言う存在が、完全に消えてしまうわけではありませんからね。」 「完全には、消えない……?」 引き継いだ時に消えないって……でも、それじゃあどうして……? 「そうです。貴方も、恐らく聞いた事があるでしょう。精霊は世界から生まれた。  だから、精霊は世界に還る、と。大精霊とて、例外ではありませんよ。」 「あ……」 前に、他の精霊が消えてしまう時に、そんな言葉を耳にした事があった。 文字通り、風になると……そんな意味合いで。 「だから、強い恐怖は感じません。私は、本来居るべき場所に帰るだけなのですから。」 そう言って、微笑みかけてくれた。その顔に恐怖は微塵も感じられなかった。 ……ああ、やっぱりこの人は大精霊様なんだ。改めて、痛感した。 「……さぁ、始めましょうか。」 「ま、待って下さい!本当に、あたしで大丈夫なんですか……?」 「ええ……貴方こそが、次の大精霊を受け継ぐに相応しい素質を持っています。  だから、貴方を選んだ。貴方にしか出来ない事があるからこそ、貴方を選んだのです。」 力強い言葉。あたしの不安を打ち消すようだった。 目の前にある、大精霊と言う存在。あたしは……それに、今からなるのだ。 「自信を持って……貴方なら、絶対大丈夫ですよ。」 「……はい!」 ここで引き下がるなんて事は出来ない。あたしは、大精霊になる…… 彼の誇りを汚さない為にも……あたしが、ならないといけないんだ。 「あたしが……あたしが、大精霊になります!」 もう、迷わない。これは、あたし自身が決めた道だから。 ----- >「過去を辿りし者」 エアリナ様の記憶。今までに歩いてきた道。 きっと、エアリナ様はどの大精霊様よりも苦しかったんだと思う。 途中で本来の身体を失って、私の身体を借りた。 エアリナ様が言うまで、私はそれに気づかなかった。でも、その方が良かったのかもしれない。 もし、前からその事実を知っていたなら、私は耐えられなかったと思う。 大精霊としての重圧。それを、大精霊でも何でもない、私が感じる。 ……そうだったら、今の私は居ない、そう思う。この方が、私にとって良かったのかもしれない…… でも、一番なのはやっぱり、エアリナ様自身が、自分の身でちゃんと引継ぎをする事。 完全な形では出来なかったけれど……でも、こうして引継ぎを終えようとしている。 エアリナ様の意思……私に、託した事。大精霊として、一個人として、私にお願いした事。 絶対に、忘れちゃいけない……大切な事。 あたしは、それを…… そろそろ、動くべきか……これから忙しくなりそうだ。 しかし、この状態のままでは上手く身動きが取れん…… こうなったら仕方ない……奴には悪いが、一旦肉体を排除させてもらおうか…… 「……天音、少々手伝って欲しい事がある。」 「あ、はい。何でしょうか?」 「一旦、肉体との関連性を完全に切り離す。忙しくなりそうだからな。」 今は一時的に肉体から精神を切り離しているだけであり、厳密にはまだ関連性は残っている。 この関連性を正しい手順で完全に切り離すと、その肉体は消滅する。 ……どういう仕組みかは知らないがな。まぁ、残ったままと言うのは気分が悪い。 「分かりました。それでは……」 「うむ。」 目を閉じ、気を静める。そして、肉体に繋がる見えない糸を切り離す。 天音はその補助に入る。関連性を外した際に、衝撃が来る可能性があると聞いた。 それを複数に分散させる事によってその衝撃を和らげる……と言う、手段だ。 軽い衝撃……直後、そこにあった肉体は光の粒子となって消えていった。 「よし……助かったぞ、天音。衝撃は大丈夫だったか?」 「はい、大丈夫です。あの、私が御供になりますか?」 「ああ、頼む。結衣香には伝言を伝えに行かせねばな……」 暫く館には戻れない。雪乃と羽衣には悪いが……だが、あの二人であれば大丈夫だろう。 なるべく早く戻りたい所ではあるがな…… 「さぁ、行くぞ。」 「はい!」 久しぶりに、この姿のままで移動する……本来ならば、これが普通なのだが…… 慣れと言うのは恐ろしいものだ。 「咲耶様!移動の準備は出来ていますよ!」 「助かるぞ、結衣香。」 結衣香は気配を察し、予め移動のための準備をしていてくれた。 おかげですぐに風の空間へと移動出来る。心遣いに感謝だ。 「それと、雪乃と羽衣に連絡を頼みたいのだが、出来るか?」 「分かりました!すぐにお伝えしますね!」 「頼んだぞ。」 我と天音は門をくぐる。風の聖域、幽羅の待つ元へ。 無事に……終わっただろうか…… ----- >「一報」 暗いリビング。時計の針の音だけが響いている。 私は眠れなかった。咲耶様と幽羅様の事が、ずっと心配だった。 窓ガラスが揺れる。風が強い。引継ぎが、上手く行ったのかどうか…… 「……帰って、来てくれますよね……?」 昔の事を思い出す。一人ぼっちだった私。 当てもなく放浪していた時に、咲耶様と出合った。 優しい眼をした咲耶様のあの顔は、今でもはっきり覚えている。 それから、少し後……幽羅様にも出会った。 家族みたいな……いえ、もう家族そのもの…… 「……あれは……」 ふと、窓の方を見た時……何かが窓の間に挟まっている。 これは……封筒?近くにあったランプに火を灯す。これは……桜木の空間からの……! 急いで開いて、中の手紙を見る。そこには、 『幽羅は無事だ。それと、少々帰るのに時間が掛かる。そちらは二人に任せるぞ。』 とだけ、書かれていた。 幽羅様は無事だった……それが分かっただけで、急に気分が軽くなった。 後は、精霊としての仕事が待っているんでしょう…… 「……二人で、頑張りますね……」 手紙を胸に、私はそっと、涙を流した。 空間は大変な騒ぎになっていた。無理もない、突然の引継ぎだったのだ。 だが、どうやらまだ誰も聖域には入っていないようだった。 「おぉっ、咲耶様!」 「幽羅はどうした!誰か、様子を見に行った者はいるか!?」 「い、いえ……まだ誰も……」 その場に居た上位の風の精霊達は、他の処理に追われているようだった。 正規の手順を踏まずに行った……それの影響もあるのだろうか。 「幽羅は我が見る!他の者達は状態の復帰を!」 我の声で風の精霊達が一斉に動き始めた。 我は聖域へと急ぐ。場所は……感覚で分かる。 中央を飛び、森の奥へ。細い道を抜けていく…… 「幽羅っ!」 開けた場所。ここが聖域……その中心に、幽羅が倒れていた。 虚ろげに夜空を見つめていた。意識は、あるのか……? 「大丈夫か、幽羅!」 「……さ……くや、ちゃん……?」 意識はあったが、声は掠れている。 幽羅の体を抱えようとした、が…… 「お願い……もう少し……ここに、いさせて……」 「幽羅、お前……」 その言葉の重みは、普段の……今までの幽羅とは違う。 間違いなく、これは大精霊としての言葉…… 我は幽羅に膝枕をした。このまま寝させるのは心苦しい。 「……ありがとう……」 「……あまり話すな。疲れているだろう?」 「……うん……」 感覚を確かめる。命に別状は無い……が、暫くは動けないだろう。 今は、ここで休ませよう……どれだけ時間が掛かっても構わない。 お互いに無言だった。遠くの空を見つめる。心地よい風が吹いている。 歓迎しているのだろう……新たな大精霊を。 「ねぇ、咲耶ちゃん……」 先に口を開いたのは幽羅だった。まだ声は掠れている。 「……何だ?」 「……あたしは……ちゃんと、大精霊として頑張れるかな……?」 僅かに感じる、エアリナの気配。口調の変化は、やはり影響されての事だろう。 だが……気配は、いずれ変わっていくだろう。 今の大精霊は紛れも無く、目の前に居る幽羅なのだ。 「……大丈夫だ、幽羅なら。幽羅は強い……いや、強くなったと言うべきだな。」 「そう、かな……?」 「ああ……」 恐らくは、我と一番長く歩んできた存在。 数々の出来事や、戦いを通じて、幽羅は強くなった。 ……心配は、不要だったかもしれないな。 そっと、幽羅の頭を撫でる。 「ん……咲耶ちゃん……」 「……不要か?」 「ううん……ありがとう……」 今はただ……こうして、幽羅の温もりを感じる事が出来る。 それだけで、十分だな…… ----- >「新たなる風の大精霊」 「もう大丈夫か?」 「うん。ごめんね、心配させちゃって……」 「何、幽羅が無事ならそれで構わんさ。」 暫く横になったおかげで、幽羅の状態はある程度回復した。 聖域を出て、細い道を二人で歩く。 ……少し先が騒がしいな。我らが戻るのを待っているんだろうか? 「みんな待ってるかな?」 「ああ、そうだろうな。恥ずかしがらずに、堂々としているといい。」 「う、うん。わかった。」 少し自身がなさそうだった。やはり緊張しているのだろう。 大精霊として、皆の前に立つと言う事の重さ……それは、我も知っている。 声が大きくなってくる。やはり、待っているな。 「さぁ、もうすぐだぞ。」 そう言いながら軽く肩を叩く。 緊張しているのか、歩き方がぎこちない。 「あたしが……うん。あたしが大精霊……」 「……ふふっ。」 何となく、自分が大精霊になった時の事を思い出した。 その当時の我も、大精霊の重圧で酷く緊張していた。 すぐに慣れたが……その時と同じだな、今の幽羅は。 「む、笑わないでよ〜。」 「いや、な。昔の我を思い出したんだよ。」 「えっ?」 「我とて最初はその重圧が恐ろしかった物だよ……さぁ、もうすぐだぞ。」 道が開けてきた。既に多くの精霊達が集まって、帰りを待っているようだった。 そしてこちらに気づいた時、声がピタリと止んだ。 「幽羅。」 「うん……」 幽羅が前に出る。視線が集中しているのが分かる。 我は幽羅の背中を見ていた。 「……新しく風の大精霊になった神樹幽羅です。  この度は突然の引継ぎで皆さんを驚かせてしまってごめんなさい……  でも、こうするしか方法がなかったんです。」 幽羅の声が響く。意思を持った声だ。何処かエアリナが持っていた雰囲気を纏っている。 「皆さんは……もう気づいていらっしゃると思います。エアリナ様の身体の事を……  精霊としての身体を失ったエアリナ様は、その意思だけをあたしの身体に宿らせていたのです。」 幽羅の口から、淡々と語られる真実。凛とした声。 「エアリナ様は、最後の希望をあたしに託してくれました。風の大精霊として、あたしに……」 そこで言葉が詰まった。我は声を掛けず、ただじっと見守っていた。 「……まだ、大精霊として学ばなければならない事も多いと思います。  ですが、エアリナ様が託したこの思いを心に、これから頑張って行きますので……  皆さん、よろしくお願いします!」 ……決して話が上手いわけではない。だが、これで十分だろう。 幽羅は最後に一礼をして、前を見据えていた。 「……行くか、幽羅。」 「うん……」 再び歩みだす。大精霊として、最初の勤め。それが待っている。 「ここが、風の大精霊の部屋……」 「我も何度か入った事があるが……これは……」 大精霊と、大精霊が認めた者のみが入る事の出来る部屋が、それぞれの世界に必ず存在する。 そしてここが、大精霊が身を休め、様々な事を行う場所である。 「……で、最初は部屋のお掃除?」 「掃除……と言うか、整理だな。まぁ、さほど時間は掛からんだろうが……手伝うか?」 「うん。ちょっと自分だけだと自信が無いと言うか……」 幽羅が言うのも分かる。少々、部屋の状態が荒れていた。 ……エアリナ、そんなに整理が苦手だったか? 「……結構、面倒くさがりだったんだ、エアリナ様……」 ……まぁ、そう言う事なんだろうな…… 記憶がある分、幽羅の場合は尚更だろう…… ----- >「神界へ」 部屋の整理も終わり、少し休んでいた時。ふと、奴の気配を感じた。 ……事前に合図ぐらいして貰いたいものだが…… 「む……アルフォードか?」 「え、神王様っ!?」 「やれやれ……幽羅、その格好ではなく、大精霊としての格好になったらどうだ?」 慌てる幽羅に一声。流石に大精霊にもなって普段の服と言うのも難がある。 「え、えっと……えいっ!」 その声と同時に幽羅の身体が一瞬光に包まれ、次の瞬間には大精霊としての格好になっていた。 それは、前にエアリナとして我の前に現れた時の幽羅の格好に、多少装飾を追加したもの。 ……流石に、幽羅の身体を通していた時は完全に再現できなかったんだろう。 風の精霊の象徴でもある羽は、この格好の時は一時的に隠される。 任意で出し入れが可能だと、聞いた事があるな。 「うーん……似合ってるかな?」 「ほほう……似合っているぞ、幽羅。」 幽羅の姿にエアリナの姿が重なる。 まだ幼さは残っているが……それでも、威厳を感じる姿だ。 ……幽羅が、大精霊か……少し前から分かっていた事だが…… 「様になるのだな……」 「ん?なぁに?」 「いや、何でも無い……」 実際にその姿を見る。何故だか、不思議な感覚だ。 今までの幽羅と傍にいる時間が長かったからだろうか? と、考えている時。 「やぁ、咲耶、幽羅ちゃん。」 「アルフォード……事前に連絡ぐらい出来ないのか?」 「あはは、ごめんごめん。早く幽羅ちゃんの姿を見たかったからさ。」 悪びれた様子も無く、笑顔を見せるアルフォード。 空気が読めるのか読めないのか……まぁ、こやつらしい所だが。 「……幽羅ちゃん、立派になったね。急に大人になった感じがするよ。」 「えへへ……そうかな?」 照れる幽羅。確かに、成長したな……少し前とは違う……急激な変化だな。 「さて……大精霊になったばっかりなのに悪いけれども、この後の事を伝えておくよ。」 「……神界と魔界に顔出し、か。」 「あ……」 幽羅も分かっているようだが……大精霊となり、まず行う事がある。 我も体験したが……これが中々緊張したものだ。 「幽羅ちゃんにはこの後、神界と魔界に行って、神界では上位神達に、  魔界では魔王様に顔合わせをしてもらう事になるよ。  まぁ、そんなに時間の掛かる事ではないし、後は一言二言言ってもらうだけだから、  そんなに緊張する事は無いと思うよ。」 「いや、緊張すると思います……」 幽羅の声が少し小さくなった。まぁ、そうだろうな…… 魔界はともかく、神界では多くの神々を相手に話す事になる。 ……この辺りは、我が手助けする事は出来ない。必ず一人で行く決まりになっている。 「……懐かしいな。」 「あの時の咲耶は結構緊張してたねぇ。本当に懐かしいよ。」 「……お前に言われるとどうも気に食わないな……」 「咲耶ちゃんが緊張する程なのかぁ……」 今の我を見ている幽羅にはあまり想像出来ないだろう。 まぁ、最初から今の様であれば、苦労はしなかっただろうが…… 「まぁ、気楽に行けば大丈夫さ、幽羅。すぐに終わる。」 「う、うん……頑張るよ。」 緊張をほぐすように幽羅の肩を軽く揉んでやった。 「それと、二人は落ち着いたらまた神界に来てほしいんだ。もう一度、肉体を構築し直さないと。」 「……ああ、そうだな。あまり二人を待たせたくは無いのだ。」 「あっ……うん、そうだね。」 伝言を送ったとは言え、雪乃と羽衣を待たせたくは無い。 なるべく手早く済ませて、早く戻らなければ。 「すまないな、アルフォード……」 「いいんだよ咲耶。私に出来る事は少ないからね。それに……咲耶達には頑張ってもらってるから。」 「……なぁに、半分は我自身の意思の下だ。気にする事は無いさ。」 こうして仲間を思う事が出来るようになったのは……ある意味、アルフォードのおかげだな…… 大精霊二人が肉体を持ち行動している……普通ならあり得ない事だ。 ……自然と、暗黙の了解になってしまうものだ。 「それじゃあ二人とも、そろそろ行こうか。」 「わかった。幽羅もいいな?」 「う、うん、大丈夫。」 まだ少しぎこちないが……まぁ、仕方ないな。 道中で少しでも緊張を解せればいいのだが…… ----- >「最初の仕事」 「う〜……」 「……大丈夫か?」 「あんまり大丈夫じゃないよ〜……」 やはり、幽羅は相当緊張している。無理もないが…… アルフォードが神界への門を開けている途中、落ち着きが無かった。 「しかし、今そんなに緊張していると、いざ神々を前にした時何も出来なくなるぞ?」 「分かってるよぉ……はぁ〜……」 「お待たせ!門を開いたよ。」 アルフォードの前に光の門が出来ていた。その先に白い部屋らしき風景が映っていた。 ……城の準備室か。懐かしいな……我もかつてはこの部屋で緊張したものだ。 「……ふふっ。同じ気持ち、か……」 「咲耶ちゃん?」 「似ているんだ。昔の我と、な。我も最初は緊張したのだぞ?」 「うーん……そっか。咲耶ちゃんもやっぱり緊張してたんだ……」 今の幽羅に、過去の我の姿が重なった気がした。 大精霊になって、最初の仕事……か。本当に、懐かしいものだ…… 「何、胸を張っていけばいいさ。気を楽にな。」 「うん……頑張るよ!」 「さて、それじゃあ二人とも行こうか。多分、もう皆揃ってると思うよ。」 我と幽羅は頷き、光の門をくぐる。流石は神王の作る門、違和感なく準備室に移った。 「うわぁ……ここがお城の中かぁ……」 準備室と言えど、整理されていて装飾も煌びやかだ。 白を基調にした空間。前にある扉の先は、神々が集う会議室だ。 「やっぱり、もう揃ってるね……それじゃ、幽羅ちゃん。」 「は、はいっ!」 「幽羅。」 一度、扉の前で幽羅に声を掛ける。我はここで留守番だ。 「……お前らしさを見せてくればいい。自分の思うがままに、な?」 「うん……分かった。」 頭を少し撫でる。少し、幽羅の表情が柔らかくなった気がした。 「それじゃあ、行ってくるよ。」 「ああ。しっかりな。」 会議室への扉が開かれる。微かに聞こえていたざわめきが消え、視線が集中していた。 そうして幽羅とアルフォードが中に入り、そして扉は閉まった。拍手だけが聞こえる。 我は近くにあった椅子に座り、ふと、天井を見上げた。 「……昔の我、か。」 ……大精霊になった頃の我。まだ大精霊としての身分や力について、知らなかった頃。 今の我と比べれば……まだ、純粋だったか。 幽羅には、その純粋さを失って欲しくない。我は……我の身体は、酷く染まっている。 同じ道は、通って欲しくない…… 「幽羅……お前なら……」 目を閉じ、記憶を蘇らせる。かつての我の姿を…… 信じられない……と言うか、もう何が何だかさっぱり。 あたしの目の前に、神界の偉い人たちが…… 神王様が何か言ってるけど、耳に入らない。 「……それでは、神樹幽羅殿からお言葉を頂きたいと思います。」 その神王様の言葉でハッとなった。お言葉って……な、何か話さないといけないんだよね…… 壇に上るように言われて、上った。うぅ、皆見てる…… 「え、えっと……」 声が響いてる。下手な事言えない……うぅ、何も思いつかないよ…… 「……皆さん、今日はお集まりいただき、ありがとうございます。」 とりあえず、出だしはこんな感じでいいかな……えっと、次は…… そうだ、今回の引継ぎは突然だったから…… 「まず、事前の告知無しに引継ぎを行い、皆様にご迷惑をお掛けした事を、お詫び致します。  ですが、その理由も皆さんご存知かと思います。あたしは、エアリナ様の意思を引き継ぎ、  こうして風の大精霊となりました。」 うん、これで……いいよね。非常事態だったし…… 「あたしは、エアリナ様が叶えられなかった事を叶えるために、これから頑張って行きたいと  思いますので……皆さん、よろしくお願いします。」 こ、これでいいかな……お辞儀して……凄い拍手…… やっぱり、風の大精霊なんだよね、あたし…… 壇を降りて、椅子に座る。何だか、ようやく落ち着いてきた…… ----- >「主を思う心」 「はぁ……はぁ……さ、流石に、疲れた……」 「……この数は、予想外でした……くっ……」 「雪乃さん!?」 足の力が抜けて、思わずその場に跪いてしまった。 ……龍京近くの赤いさとうきび畑。ここでブラックビートルが大量に現れたと言う依頼。 普通では有り得ないほどの数……それを、たった二人で、数を減らして…… 「雪乃さん、大丈夫ですか……?」 「大丈夫です……戻りましょう、羽衣様。これだけ倒せば、大丈夫かと……」 何とか持ち直して、立ち上がる。目の前に広がっているのは、畑と多くの死体。 ……こんな数は、本当に初めて……どうしてこんなに……? 「……後々、原因を突き止めなければなりませんね。」 「……そうですね。もしも、これが何度も続くなら……」 ……私達の役目は、まずここまで。この先、再びこのような事が起こるなら…… 必ず、何処かに原因があるはず。けれど、今の私達に、それを探る力は残っていない。 無理をしてはいけない……私達が今倒れてしまっては…… 「……咲耶様……」 一人、ベッドで横になる。 当ての無い私を、保護してくれた……私の、恩人。 人ではないと気づいた時、少し驚いたけれども……素直に受け入れる事が出来た。 私も、ある意味では人ではない……人であって人でない、中間に居る存在。 ……咲耶様は、最初から気づいていたのかもしれない。 「私は……力になれますか……?」 咲耶様はとても強い力を持っている。そして、その扱い方も知っている。 ……それに比べれば、私は…… 「ん……んっ……」 急に鼓動が早くなる。最近、夜冷え込んできている。 冬が近づくにつれ、時々こうして胸が昂る。それは、私に雪女としての血が流れている証。 ……一線を越えれば、私は…… 「咲耶……様……」 今はここに居ない、この館の主。 ……もう、失いたくない……同じ事を、繰り返したくない…… 扉の開く音と、拍手の音で思考の中から引き戻される。 そして幽羅が入ってくるのが見えた。どうやら無事に終わったようだな。 「お疲れ様。どうだったか?」 「ほぁ〜……死ぬかと思った……」 「全く、大げさだな……その帽子は?」 幽羅は緑色の大きな帽子をしていた。魔法使いがするような大きい帽子だ。 橙色のリボンも付いている。 「あ、これね。お祝いの品だって言って神王様から貰ったの。」 「ほほう……」 意識を帽子に向けると、魔力が感じられた。どうやら能力付加をさせているようだ。 「うむ、中々似合っているな。」 「えへへ……ありがとう、咲耶ちゃん。」 幽羅は少し照れていた。と、その後ろでアルフォードが入ってくるのが見えた。 「お疲れ様、幽羅ちゃん。」 「あ、お疲れ様でした!」 アルフォードの礼服姿……これも妙に似合っているのが不思議だが…… まぁともかく、これで全て終わったわけではない。 「さて……次は魔王殿の所か。話は行っているか?」 「勿論。でも、咲耶も行くの?」 「ん……そうだな……」 本来ならば、我はここに来る必要は無かったのだが……さて、どうしたものか。 このまま魔界の様子を見に行くのも一つだが…… 「あっ、咲耶ちゃん……魔界には、あたし一人だけで行ってもいいかな?」 「ん?どうしてだ?」 「あたし……もっと一人で頑張ってみたい。咲耶ちゃんが居ると心強いけど……  それだけじゃダメだと思うから……いいかな?」 ……やはり、成長したな……ここまで意識が持てれば十分だ。 「……分かった。一人で行くといい。」 「ありがとう……咲耶ちゃん。」 微笑む幽羅。その微笑みは、何処かエアリナに似ていた気がした。 「それじゃあ、幽羅ちゃんは私が案内するよ。咲耶はどうする?」 「我は神界に残る。お前の部屋で待たせてもらおうか。」 「……私が戻ってきたら即出発だね。分かった。」 留まる必要は無い……今の我には、まだやるべき事がある。 それに、あまり人を待たせるものではない。 「幽羅ちゃんも、終わったらすぐに向かう?」 「はいっ!」 「よし、それじゃあ早速……咲耶、また後でね。」 「ああ、待っているぞ。」 アルフォードが魔界への門を開け、そしてそのまま中へ消えた。 我はそれを見届け、アルフォードの部屋へ向かった。 ----- >「神界と魔界の王」 一人、アルフォードの部屋で二人の帰りを待つ。 他の部屋に比べて明らかに装飾が少なく、派手さが無い部屋。 本人はこうでないと落ち着かないと言っていた。 「よく分からない男だ……」 神々の王である存在。だが、普段のアルフォードからはそんな気配を感じない。 堅苦しい事は好きではない、とは言っていたが……そもそも神王と言う立場からすれば 簡単に避けられる事ではないだろう。何しろ、王と言う立場だ。 ……我も本来であれば、こうしている筈では無かっただろうな。 恐らく、今よりは落ち着いていただろう。時期が悪かったと言えばそうなのかもしれないが…… 「……考えすぎ、か……」 前にエアリナが言っていた。悪い癖だ……もう少し、気楽に生きてみたいものだ。 当面、出来そうも無いのだがな…… 「ここが魔界のお城……」 「魔界は始めてかい?」 「はい……何か、想像と違う……」 魔界のお城の中……何だけど、色合いとかそう言うの以外は神界のお城と変わらない気がした。 神界が白なら魔界が黒……うーん、何かこう、怖い感じがあったけど、全然そんなのじゃない。 「まぁ基本は神界とあんまり変わらないからね。観光していくかい?」 「……また、今度に。もっと時間がある時にこようかな。」 「そうだね……あんまり待たせたくないしね。それじゃ、挨拶に行こうか。隣の部屋だよ。」 色々見て行きたいとは思ったけど、みんなが待ってる。早く挨拶に行かなきゃ。 「失礼します……魔王殿。」 「……ほほう……随分と若い大精霊だな?」 少し暗くて、何だか色々な装飾があって、大きなベッドにテーブル…… 魔王様はソファーに座っていた。長くて黒い髪に、真っ黒な服。銀色の目がこっちを見てる。 ……何か、ちょっと怖い。 「は、はい……神樹幽羅と申します。」 「そんなに硬くならなくても構わんよ。君は、あの咲耶の友人だそうだな?」 「え?はい、そうですけど……」 そう言うと、魔王様はちょっと俯いていた。前に、何かあったのかな……? 「……本来ならば、色々と話をしておきたい所のなのだが……待たせているのだろう?  私の事は気にせず、早く向かってやって欲しい。」 「えっ?……いいんですか?」 「これぐらいしか、私は彼女にしてやれないからな……」 「……魔王殿、貴方はまだ……」 神王様が続きを言おうとするのを手で止めた。 やっぱり、咲耶ちゃんと魔王様には、何かあったんだ……でも、聞かない方がいい気がする。 「それじゃあ……あたし、行きますね。」 「ああ、分かった。気をつけてくれ。」 気にしてくれたんだ……あたしと、咲耶ちゃんの事。 ……落ち着いたら、もう一度挨拶しにここに来よう。 「……ではまた、魔王殿。」 「……うむ。」 部屋を出て、すぐに神界に戻った。何だか、神王様の表情が暗かった。 「咲耶の所に行こう。そうしたら、もう一度肉体を構築しよう。」 「はい。」 ……やっぱり、王様だからかな。あたしには想像出来ないような大きな事、 きっとたくさん経験してきた……その中に、魔王様の事もあるのかな。 ----- >「二人の待つ場所へ」 「咲耶ちゃん!」 「幽羅?それにアルフォードも……随分と早いな。」 勢いよく開いた扉から幽羅が、続けて神王も入ってきた。 随分と早く帰ってきたな……無理矢理話を短くしたか? 「魔王様が気を使ってくれたんだ……早く向かってやれって。」 「魔王殿が?珍しい事もある物だ……」 あの魔王殿が、気を使って……?我に対する配慮なのか? ……気にしていると聞かれたら、否定するのだがな……向こうはそうでも無かったらしい。 「まぁ、事情はどうであれ、これで二人とも揃った訳だし、早速構築をしようか。」 「そうだな、頼む。」 「お願いします!」 だが、それよりも今は二人を待たせている。早く戻らなければ。 「基本構成は以前のままで、幽羅ちゃんは大精霊の力にも耐えられるようにしておくよ。  格好は前のままにする?」 「えっと……前のでいいですか?」 「勿論だよ。咲耶もそれでいいね?」 「ああ。」 今のこの着物も、当分はお預けといった所か。名残惜しいが……少々、向こうでは目立つ。 「それじゃ、二人とも意識を集中させて……合図をしたら始めるよ。」 目を閉じ、意識を神王に集中させる。これで二度目だが……中々の衝撃だったのを覚えている。 魔力が体に流れ込んでいるのが分かる…… 「いくよ……構築、開始。」 「ぐっ……」 「はうっ……」 神王の言葉と同時に肉体が作られていく。一瞬、激しく締め付けられたような感覚が襲う。 その後は足元から痺れが上っていく。痺れが取れた後は、その部分が熱を持っていた。 暫く耐え……頭から熱が取れたころに肉体の構築が終わった。若干、節々に痺れが残っている。 そして何時もの格好に戻った。やはり、この姿でなくては。 幽羅も以前の精霊の服に戻っていた。 「……今更だけど、二人とも凄いよ。これが終わって平然としてられるのは二人だけだからね。」 「正直、何度もやりたくなるような物ではないな……」 「うー……久しぶりに味わったよー……」 とりあえず、無事に終わったようだ。軽く体を動かして、感覚を確かめた。 「うむ……大丈夫だ。幽羅もいいか?」 「うん、平気だよ。」 「さて、それじゃあ次は転送だね。あ、そうそう幽羅ちゃん。」 アルフォードが幽羅の肩に手を乗せ、笑顔を見せた。 「今度から私と話す時は、気楽にしていいからね?硬くならなくても大丈夫だから。」 「えっ?えっと……分かり、ました……」 「そう気張らずに、いつも咲耶と話してる感じでいいからね。」 「う、うん……これで、いいかな?」 ぎこちない感じだったが、それを聞いてアルフォードは安心したのか、術の構築に入った。 「二人とも……気をつけて。」 アルフォードの言葉の後、目の前が白く染まっていき、一瞬意識が薄れる。 ようやく帰れるのだな、我が家に…… ----- >「主の帰還」 視界が戻った時、そこに見えていたのは見慣れた館の玄関だった。 空は僅かに日が暮れかけている。 「……長い間、留守にしたような気分だな。」 「そうだね……」 玄関の扉を開ける。時間にしては短いだろうが、少し懐かしい気がする。 そしてそこに居たのは、たまたまそこを通っていただろう雪乃だった。 何時もの巫女の服だ……頭の鈴は外していたが。 「あっ……」 「ただいま、雪乃。」 「ただいま〜!」 「おかえりなさい、咲耶様、幽羅様……無事に帰ってこられて良かったです……」 明るい雪乃の表情。ずっと待っていたんだろうな……我と幽羅を。 「待たせてすまないな……」 「いえ、いいんです……幽羅様は無事に?」 「もう大丈夫だよ。心配掛けさせてごめんね……」 少ししょんぼりとしている幽羅に、雪乃は笑顔で返した。 「幽羅様が無事に大精霊になれたのでしたら、それでいいんです。でも、本当に良かった……」 「ふふっ……さて、我は少し休む事にするよ。色々あって、少々疲れたんでな……」 「分かりました。」 色々と話したい事はあるが、まずは少し休んでおかなければ。 肉体構築の直後はある程度疲労が溜まっている状態だ。 「幽羅も休んでおけ。」 「わかったよ〜。実はちょっと眠かったり……」 少し体を伸ばしつつ、我の部屋へ。しっかりと掃除されている。 我が何時帰って来ていいように……雪乃には、礼を言わなくてはな。 それにしても……こうして我の部屋を見るのも、何だか久しい気がする。 構築した肉体が、少し重く感じる。本来の姿である時には感じない物だ。 「……少し、眠るかな……」 恐らくは構築の時の衝撃であろう疲れが出ていた。 ……無理はしない方がいいな。全ての問題が解決したわけではないんだ…… 「大精霊、か……」 横になり、ふと我が大精霊になった頃を改めて思い出す。 最初はその力や役目に振り回されていた……理解し難い事もあった。 だが、大精霊にしか出来ない事があり、そしてその事がどれだけの意味を持つか。 それにちゃんとした形で気づいてからは、少し楽になった気がする。 ……今となっては、ただの昔話になってしまうがな…… 「……エアリナ様……」 間違いなく、今のあたしはエアリナ様の力を引き継いでいる。 それに、本当だったら空間に残った方がいいんだと思う。 けど……あたしは、咲耶ちゃんの傍にいる。 エアリナ様が、あたしに託した事……出来なかった事を、あたしがやらなくちゃ。 ……何だか、眠い。やっぱり、体を持つと色々変わるんだなぁ…… やっぱり、まだ色々心配かな……咲耶ちゃんも言ってたし、今は寝ようっと。 これから、色々ありそうだし……今は休んで、これから頑張ろう。 ----- >「記憶の意味」 桜木の湖……そこで多数の猛犬と相手をしていた。 度々起こる異常繁殖、原因は分からない。 「てやぁっ!!」 「幽羅、後ろだ!」 「むっ、させないよっ!」 幽羅の動きは以前とは異なっていた。圧倒的な速度と魔法連携…… 背後に敵が居ても、瞬時に対応している。我以上の早さだ。 戻って早々の討伐依頼だと言うのに、その力が鈍っている事は無かった。 いや……確実に良くなっている。力に対する順応が早いのか。 「あっ、逃げるなっ!ええいっ!」 逃げようとする猛犬を魔法で追撃する。風魔法の威力、精度も上がっている。 本来であれば時間を掛けて開放するものだ。それを一気に使っている…… 「これが最後だな……そこっ!」 最後の一匹に止めを刺し、あたりは落ち着いた。 「ふぅ……結構多かったね〜。」 額に汗を浮かべている幽羅。だが、見た様子ではまだ余裕があるようだった。 「……ふむ。」 「咲耶ちゃん、どうしたの?あたしの顔に何かついてる?」 「いや、そうではないのだがな……体は大丈夫か?」 正直、飛ばしすぎていた感はあった。何しろ、たまに我ですら追いつけない速さで動いていたのだ。 当然負担もあるだろうと思うのだが…… 「うん、平気だよ。やっぱり、大精霊の力って凄いんだね……前と全然違う感じがするよ。」 「違和感は無いのか?」 「うーん、違和感かぁ……そう言うのは無いと思う。」 「そうか……」 力に元々適合していたのか、あるいは別の要因か…… どちらにせよ、体への負担はそう大きくはなさそうだ。 どうやら、我が心配する程の事ではない様だな。 「ふふっ……」 「む、急に笑って……やっぱり何かついてるんでしょ〜?」 そう言った幽羅の口調は、何処かエアリナに似ていて。 「……エアリナの記憶を引き継いでいるのだ……やはり、似るか……」 「えっ……?」 当たり前の事だ。引き継いだ者がその影響を受けるのは。 ……我も先代の記憶をある程度引き継ぎ、その影響を受けている。 ただ、我の場合はその度合いが薄い。我と言う存在が強かったんだろう。 幽羅は……まだ、判断は難しいか。もう少し時間が必要だ。 「さて……では、帰るか。」 「うん!」 深く考える必要は無いか……幽羅なら、大丈夫だろう。 「……ふぅ……」 読んでいた本を閉じ、ため息を一つ。 状況は余り変わっていない。あの黒い魔物が現れたと言う報告は無い。 ……恐らくは、あれが根源となっているだろうとは思うが、しかし…… そもそもあれはこの世界に存在するものでは無かったはずだ。 「また考え事かしら?咲耶。」 扉の開く音と、幽羅の声。だが、その雰囲気はエアリナの物にとても近かった。 「幽羅か……」 「えへへ、似てるかな?」 「ああ……よく似ているよ。」 ……驚いたな。これだけの影響を受けていながら、根本までは書き変わっていない。 過去の事例で、影響を大きく受けすぎた結果、転生に近い引継ぎになった事があった精霊がいた。 幽羅もそれに近い状況のようだが…… 「エアリナ様の記憶……ちゃんと辿ったから。咲耶ちゃんとの事も分かるよ。」 「……当然だな。」 記憶を引き継いでいるのだ、今までの我とエアリナの関係も把握しているだろう。 ……肉体を失っている時の事もだ。 「咲耶ちゃん、凄く可愛くてびっくりしちゃったよ。」 「ふっ……それは何時の事を言っているんだ?」 隣の椅子に座り、ふふっ、と幽羅が笑う。そんな時も、我にはあった。 恐らくは……我がまだ大精霊になって間もない頃だろう。 あの時の我は……まだ若かった。見た目としては余り変わらないであろうが…… 「……変わってるんだね、あたしも、咲耶ちゃんも。」 「……そうだな……」 当時の事を少し思い出す。大精霊になった当時は、本当に右も左も分からない状態だった。 ……先代の記憶と、それまでの我の記憶が混ざり合っていた、混沌とした記憶。 それを整理するのに時間が掛かった覚えがある。 「……咲耶ちゃん、ずっと一人で戦ってたんだね。」 「己の問題に他を巻き込みたくは無かった、それだけだ。」 「……本当に、それだけかな……?」 我の目を見る幽羅……その目は何処か寂しげで。 「……深くは聞かないでくれ。」 「うん……でも、無理しちゃダメだよ?」 「分かっているさ……」 ……共に戦う仲間がいる。昔の我なら、考えられない事でもあった。 たった一人で戦い続けていた、あの時とは違う。 「……頼りにしているぞ、幽羅。」 「あたしだけじゃないよ。雪乃ちゃんと、羽衣ちゃんも、傍にいるんだから。」 「ああ……」 ……考えすぎ、か。エアリナの言う通りだな…… 今はそう、目的を果たす、それを一番に考えるべきだ…… ----- >「風を操る者として」 広い草原と青空。近くには風車が回っている。そこに涼しい風が吹く。 あの夏の暑さはもう感じられない。 ……今日は、戦う気になれない。我にしては珍しい事だ。 「……いい風だな。」 身近に風を操る存在が居ると、少し不思議な感覚がする。 今の幽羅は、この世の全ての風を操る事が出来るのだ。 もっとも、人間が言う所の天変地異を起こそうするなら許可が必要だが…… そもそも、そんな事態になる事こそ稀な事だ。 「その気は無いだろうな……」 幽羅の事だ、そんな事は考えてはいないだろう。 それに関する記憶もあるだろうが、エアリナの時もそんな事は無かった。 ……まぁ、我が考えた所でどうにもならないか。 「さて……」 もう少し、近くを歩いてみよう。こう言う時間も悪くない。 「……いい風だなぁ……」 テラスに風が吹いてる。精霊達が作った、とってもいい風。 大精霊になっても……自分が風を操る存在になっても、こうやって素直に感じられる。 ……ううん、大精霊になったからって、そこまで価値観が変わるなんて事も無いと思う。 大精霊だからってそう威張る事でもないと思うし……咲耶ちゃんも、そんな感じだった。 「……操る、かぁ……」 今のあたしなら、この世界の風を操る事が出来る。 ……そうは言っても、それは一人でやっちゃいけない事。 そもそも、そんな事をする必要なんて無い。 「大丈夫、だよね……」 今まで、そんな事は無かったんだから、きっと……うん、大丈夫。 たとえ力を持っても、思いは、変わらないから…… エルパの砂漠で大量の魔物が現れたから掃討して欲しい……って依頼を受けた。 正直、こんなに多いと思って無かったし、見た事の無い魔物も混じってた。 「てやぁーっ!!」 風を纏って蹴る。咲耶ちゃんから習った蹴りに、風を纏わせて見みた。 魔物の群れがバラバラになりながら飛んでいく……あんまり見たくない光景だけど…… いくらなんでも多すぎるって、これ…… 「あぁもう、後ろから来るなーっ!」 魔法で上手い事距離を離してから……うん、このあたりで……! 「みんな……お願いっ!」 前に、闇の森で使ったあの魔法……目の前に大きな竜巻が起こる。 巻き込まれて魔物がどんどん消えていく。 「これで最後っ!えぇぃっ!!」 そこにもう一度魔法を重ねる……そこだけ、大嵐になるほどの魔法。 多分、近くに人がいたらびっくりすると思う……自分でもびっくりするぐらい。 竜巻が消えると、そこにはもう魔物は居なくなってる。 「ふぅ……疲れたぁ……」 近くの石段に座って、空を見上げてため息。 普段なら、誰かと一緒に戦う所だけど、一人だとやっぱり大変…… 力を多く使うし、動きも多くなる。うーん、やっぱりそう言う所は咲耶ちゃんは強いよなぁ…… 「幽羅!」 「あれ、咲耶ちゃん?」 声のした方から、咲耶ちゃんが走ってきた。もしかして、あたしの事心配して……? 「雪乃から話は聞いた。大丈夫だったか?」 「ちょっと疲れちゃったけど、大丈夫だよ〜。」 「そうか……幽羅が出た後、依頼主が予想していたより多い数が出現したと手紙をよこしてな……」 「えっ、そうなの!?」 ……もしかして、あたしって結構な数倒してたのかな……? でも、あれぐらいって今までにも何度かあった気がするけど……うーん。 「どれ程の数が居た?」 「うーん、数えては無いけどさ……レイヴァラントさんと一緒に熊を退治しに行った時かな?  あれよりは少し多い気がする……かな。」 「ふむ……そうか。」 何だか難しい事を考えてそうな感じがする……別の場所で何かあったのかな? 「それなら、かなりの数を一人で倒したと言う事になるな。」 「えっと……うん、そうだと思う。」 「……ふふっ、これなら我の仕事が少し減りそうだな。」 嬉しそうに笑う咲耶ちゃん。 ……そう言えば、こう言う依頼は大体咲耶ちゃんが一人でやってた気がする。 「あっ……えへへ、あたしだって頑張ってるんだよ?」 「今回の事でよく分かったよ。これからは幽羅にも事を任せる事もあるだろう。その時は頼むぞ。」 「うんっ!」 咲耶ちゃんの……みんなの力になれるなら。 大精霊の力……もっと、使いこなせるように頑張らなくちゃ。 「はぁ〜、でも疲れたよ……」 「ここは暑いから余計に疲れるだろう……エルパで休んでから帰るとしようか。」 「だね〜……」 ……でもその前に、まずは体力を付けた方がいいのかも…… ----- >「空を翔る」 「……雨、かぁ。」 今日は酷い雨。憂鬱な気分……でも、風は出てる。 灰色の空は……あんまり、好きじゃない。 何だか、悪い事が起こりそうな……そんな気がする。 「幽羅様、少しよろしいでしょうか?」 扉の外から雪乃ちゃんの声がした。何かあったのかな……? 「ん……大丈夫だよ。」 「失礼します……あの、依頼のお手伝いをしてもらいたいのですが……」 「あ、来たんだ。今日は無いと思ってたよ〜。」 咲耶ちゃんが朝に依頼を確認した時、珍しく依頼が無いって言ってた。 もしかしたら、大雨で手紙が届くのが遅くなったのかも。 「咲耶ちゃんと羽衣ちゃんは?」 「咲耶様も羽衣様も、まだ寝ていますので……」 「そっか……」 二人とも、調子が悪いのかな……?あたしもそんなに調子はよくないけど。 「それで、どんな依頼なの?」 「それが……ジャングル地帯に見た事もない黒い魔物が現れた、と……」 「えっ……?」 黒い魔物……あたし達が倒さないといけない相手。 ……もしかしたら、まだそこに残っているかもしれない。 「私達だけでは厳しいかもしれませんし、ここは咲耶様と羽衣様も一緒に行った方が安全かと……」 「……そう、かな……」 ……咲耶ちゃんは、前に一人で倒した事もあった。 戦い方も力も違うけど……今のあたしなら、出来る気がする。 でも……本当に大丈夫かな……?みんなで戦わないと危ないかもしれない…… 「どうしましょう……?」 「その魔物ってどんな感じのか、分かる?」 「確か、大きな翼を持って、空を飛んでいたと……」 空を……そうなったら、咲耶ちゃんの大体の攻撃は届かなくなる。 羽衣ちゃんは空を飛べるけど……今日は雨、あの飛び方が出来るか分からない。 すぐに戦いに行けるのは、あたしと雪乃ちゃんだけ…… 「大丈夫、二人で行こう。あたし達だけで、何とかなると思う。」 「……分かりました。では、準備をしてきますね。」 「うん……」 ちょっと不安だけど……でも、ずっと咲耶ちゃんに頼ってられない。 ……何時も、咲耶ちゃんが戦いの真ん中にいた。 だから、今度はあたしが……前に出て戦う。あたしだって……もっと、戦える。 「雪乃ちゃん、このあたりかな?」 「そう書かれていましたね……恐らく、ここの何処かにいると思います。」 相変わらずの大雨……その中で、あの魔物を探す。 きっと、まだ獲物を探してここにいる……そんな気がする。 ……少し怖いけど、今ここにいるのはあたし達だけ。 「……何処かに、いるはず……」 「この雨だと、音で判断するのは難しそうですね……」 雨音が大きくて、小さい音は掻き消される。何処からそれが襲ってくるか分からない。 ただでさえ見通しの悪いジャングルで、見えない敵を探す。 ……咲耶ちゃんなら、気配ですぐ見つける事が出来るのかな……? 「……風……?」 ふと、突然風が吹いた。追い風……後ろ……? あたしの中で、何かが閃いた。 「……そこっ!」 「えっ!?」 雪乃ちゃんが驚く横で、振り向き様に出の早い魔法を飛ばす。 見えた、あの真っ黒な影……間違いない! 「キエェェェェェェッ!!」 「きゃぁっ!?」 魔法が当たって叫び声を上げるあいつ。真っ黒な体、その背中に蝙蝠の羽みたいなのがあった。 ……咲耶ちゃんより大きい、この体で空を飛ぶの……? 「くっ……素早い!」 雪乃ちゃんの弓を軽々かわして、急に高く飛んだ。 一瞬であんな高さに……見た目より相当速い。 「うわっ、あんなに……!?」 「それなら……!」 雪乃ちゃんの矢が青く光る。そして、冷気を纏った矢を撃った。 あいつの下……外れたかと思うと、矢が魔物の方に向いた。 熱を追いかける矢……確かそんな事を言ってたかな…… でもそれに気づかれたのか、あいつは矢を木に引っ掛けて更に高く飛んでいった。 「これでは届かない……」 「……こうなったら……!」 あたしは高く飛んだ。早くあいつに追いついて……空で倒してやる! 「ゆ、幽羅様っ!」 「ごめんっ、広い所に行かせるからっ!」 あたしが囮になるのもあり……うん、何とかなる……! 「このっ、逃げるなっ!!」 「キキキッ!」 近付こうとするとすぐに逃げようとする。 何とか雪乃ちゃんがこいつを見失わないようにしなきゃ……! 「……あっ、あそこなら……!」 一瞬、雪乃ちゃんが見えた。少し先の開けた場所に走ってる。 「よしっ、これでどうだっ!」 あいつに向かってもう一度、風魔法を撃つ。 避けられた……けど、今度はあいつからこっちに向かってきた。 「ほらほら!あたしはこっちだよ!」 「キィェェェェェッ!!」 叫び声が耳に刺さる……でももう少し……よし、ここなら! 「てやぁぁぁぁぁっ!!」 「グェッ!?」 突っ込んでくる所に合わせて、お腹に思いっきり蹴りを入れた。 ふらふらと落ちていくあいつの下から青白く光った矢が飛んでくる。 矢があいつの翼に刺さると、一瞬で氷付けになった。 「たぁっ!」 落ちる氷の塊を蹴り上げて、一旦持ち上げる。最後は…… 「これで……はぁっ!!」 風を纏った蹴りで、塊を地面に向かって蹴り飛ばした。 ……ちょっと痛い……けど、もの凄い勢いで落ちていく。 そして……地面に落ちて、バラバラに砕け散った。 「……これで……いいんだよね……?」 灰色の空を見る。雨は振りやむ気配も無い。 ……あたしは……ううん、あんまり考えないほうがいい、かな。 ゆっくりと地面に降りる。 「幽羅様!大丈夫ですか?」 「うん、平気だよ。ちょっと疲れちゃったけど……」 久しぶりに、空で思いっきり動いたから、少し疲れた。 ……晴れてれば、もう少しマシだったかも。 砕け散った氷が溶けて、バラバラになったあいつの体の一部が足元に転がっていた。 「……気持ち悪い奴。」 「……あまり、見たくはありませんね……」 暫くして、白い煙を吹きながら消えた。結局……何物かは分からなかった。 でも、何とか終わったし、早く帰って……む、鼻が…… 「は……くしゅんっ!……うぅ、早く帰ろう……」 「あら……ふふっ、そうですね。」 ……二人ともどうしようもないぐらいずぶ濡れ。 風邪引く前に、帰らなくちゃ…… ----- >「戦うと言う事」 扉の開く音に気づき、我は玄関へと走った。 そこに立っていたのは、雨で服の色が変わっていた幽羅と雪乃だった。 「二人とも……無事だったか、良かった……」 「えへへ……ただいま。」 笑顔を見せる幽羅。だが、体は少し震えていた。 「ただいま戻りました。ご心配掛けて申し訳ありません……」 「いや、いいんだ……」 雪乃は大丈夫そうだが……外から冷たい風が吹いている。今日は寒かっただろう…… 「あっ、おかえりなさい……って、びしょ濡れじゃないですか!?」 羽衣も驚いている。この大雨の中で戦ったんだ……負担も相当だろう。 「中に入って暖を取らなければ……羽衣、頼めるか?」 「はい!雪乃さん、幽羅さん、こっちに……」 二人を誘導する羽衣、我はそれを眺めていた。 ……相当深く眠っていたか。以前にもあったが、よりによってこんな時に…… 雪乃と幽羅は寝巻に着替え、全員がリビングに集まる。 今回現れた魔物……そして戦いを聞く。 「人格を持っていなかった、か。」 「うん……ただ叫んでるだけだったし、頭がいいような感じじゃなかったよ。」 人格を持っていない……今までにない相手だ。 今までの戦いで、あの黒い魔物は必ず人格を持っていた。 だが……それが無い。我々が討つ黒い魔物とは、また別なのだろうか……? 「でも、気配は今までと同じような感覚がしましたし、消え方も同じでしたし……」 「……何らかの理由で人格を失ったか、それ以外か……」 気配や性質は同じ……やはり、同一種か。一体、根源は何処にある……? 誰がこのような事をしている……? 「でも凄いですね、二人で倒しちゃうなんて……僕は雨の日は苦手ですし。」 「そんな事は……今回の戦いは、幽羅様が主導でしたし……」 「あ……あはは、あたし一人が出すぎちゃったかなぁって気もするけど……」 実の所、幽羅はさほど空中戦をした事が無かった。能力的な限界もあったが…… それを率先して行うあたり、力の扱いにも慣れて来たか。 ……良い事だ、きっとエアリナも喜んでいるだろう。 「何、それも戦い方の一つだ、悪いわけじゃないさ。」 「そうかなぁ……」 まだ、完全では無いが……すぐに適応するだろう。 空での戦い……我には出来ぬ事だ。 「さて、今日は疲れただろう?早めに休んだ方がいい。」 「そう、ですね……それでは、お先に失礼します。」 雪乃が席を離れる。だが、幽羅は何やら考えていた。 「幽羅さん、どうしたんですか?」 「あ、ううん、何でも無いよ。それじゃ、あたしも先に休むね。」 「ああ、ゆっくり休んでおくんだ。」 幽羅も席を離れる。今日は二人とも疲れているだろう…… 明日からは、我もしっかり動かなくてはな。 「はぁ……今日が雨じゃなかったら僕も動けたのになぁ……」 「雨は苦手か?」 「一応大丈夫ですけど、炎の効果が弱くなりますし……」 羽衣は炎魔法が得意だが、流石に天候がこれでは威力も弱まってしまうだろう。 あの炎の翼も……この状況ではな。 「……仕方ないとは言え、難儀だな……」 「そうですね……はぁ……」 外はまだ雨が振り続いている。今日の所は、止みそうも無いだろう…… 「む……幽羅か。どうした?」 「咲耶ちゃん……ごめんね、こんな時に。」 部屋で休んでいた時、幽羅が部屋に来た。 表情は暗い。やはり何か、考えていたか…… 「今日は……勝手に行ってごめん。ちゃんと、伝えておけばよかったよ……」 「何だ……その事は気にしなくていいさ。」 「でも、こう言う事は何時も咲耶ちゃんと行ってたから……」 自信は……無かったんだろうな。無理も無いが…… 「幽羅はもう大精霊なんだ、我に頼る事も無いだろう?それに、幽羅が動いてくれれば我も楽になる。」 「咲耶ちゃん……」 幽羅は十分な力を持っている。世界に影響する程の力だ。 一人でも十分に戦っていけるだろう。 「別に、無理をして戦う必要も無いし、我とて好きで戦っている訳ではないのだぞ?」 「……そう、だよね……」 「幽羅……心配なのは分かるが、な。自分が大精霊である事を忘れるな?」 ……これもまた、大精霊として生きる者の苦悩だ。 大きすぎる力……その扱い。幽羅にとって、それが相当の負担になるだろう。 ……こればかりは、我にはどうする事も出来ない。 「……分かった。ごめんね、咲耶ちゃん。」 「……ああ。」 部屋を出る幽羅。少し、寂しそうだった。 ……我の戦う姿を見すぎていたんだろう……無理に戦って欲しくは無いのだが…… ----- >「飛んで叫んで漂って」 朝起きて、窓から外を見る。 今日は良く晴れている。昨日の大雨が嘘のようだ。 着替えてリビングに向かったが、幽羅の姿が見当たらない。 「む……幽羅はどうした?」 「幽羅様、少し空を飛んでくると行って出ていってしまいましたけど……」 「……なるほど。」 ……エアリナと同じ事をしているな。 何か悩んだ事があった時、空を飛んで時間を過ごした事があったと聞いた事がある。 恐らく気分転換の一つだろう……丁度いいかもしれないな。 「恐らく昼前には戻ってくるだろう。心配する事はない。」 「それならいいのですけど……」 雪乃は少し不思議そうな表情をしていた。 ……まぁ、これはエアリナの事を知らないと分からないだろうからな。 「まぁ、余り気にするな。幽羅は幽羅で、大精霊として考えている事があるんだ。」 「そうですね……これからが大変ですし。」 「ああ……落ち着いた頃にはまた仕事が待っているだろう。」 真に落ち着くには、まだもう暫く時間が必要かもしれないな。 ……まぁ、今の生活も悪く無いが。 風に任せて、ふわふわと飛んでみる。 落ちないように、みんなが手助けしてくれる。 姿は隠してあるから、下にいる人達にあたしの姿は見えない。 「……いい天気だなぁ……」 昨日とは正反対で、すっごくいい天気で空も綺麗。 ……こうして飛んでると、凄く気持ちいい。 エアリナ様も、こうしてふわふわ飛んでた。 辛い時とか、悲しい時とか。そんな時に、風に任せて。 こうして飛んでいると、何だか自分が小さくなった感じがする。 だって、空はこんなにも広くて深いから。 どんなに力を持っても、この空の向こうへは行けない。 空と言う空間を漂う、それぐらいしか出来ないから。 もしかしたら精霊も、この世界からしてみれば、小さい存在なのかも。 「……考えすぎてるのかな……」 エアリナ様は、咲耶ちゃんによく考えすぎって言ってた。 でも……エアリナ様も深く考える事もあった。 今のあたしは、その時のエアリナ様、その時の咲耶ちゃんと同じ。 「似合わない……かな。」 そう、もっと気楽にいようかな。今出来る事、今やれる事を一つ一つこなしていく…… みんなを支える事、あたし自身が大精霊として動く事、この問題を解決する事。 色々考えてたら、余計に不安になるだけかもしれない。それなら…… 「……あぁもうっ、止めたっ!わーっ!!」 思いっきり叫んで、空高く飛んで、また叫んで。 馬鹿みたいだけど、でもスッキリする。 ……そう、たまにはこうやって、発散させないとね。 「ただいま〜!」 もう少しで正午になるであろう頃に、幽羅の明るい声が響く。 そして、元気よくリビングに入って来た。 「おかえり、幽羅。空はどうだったか?」 「うん、すっごく気持ちよかったよ〜!」 「ふふっ、それは良かった。」 何時もの笑顔。どうやら、問題は解決したようだな。 やはり、幽羅には笑顔が一番似合う。 「沢山大声出してきちゃったから、ちょっと喉が痛いけど……」 「……それは声の出しすぎじゃないか?」 「えへへ……」 素直に、その笑顔に癒される。それが幽羅の魅力なのかもしれない。 ……素直な笑顔、か……我には、あまり縁の無い事だな…… 「でも、もう大丈夫だから、ね?」 「ああ、分かっているよ。それじゃあ、食事にしようか。」 「は〜い!」 幽羅の不安は解消されたのだろう。これでまた、普段通りだ。 ----- >「神樹幽羅」 その日の夜、我と幽羅は屋根の上に居た。雪乃と羽衣は既に眠っている。 満天の星空……エアリナと共に見た事を思い出す。 「こうやってさ、ただぼーっと空を眺めるのもいいよね……」 「そうだな……気分が落ち着く。」 「うん……」 何度かこの様な星空を見て来たが……今日は、少し違って見える。 ふと、屋根に風が吹く。少し冷たい風だった。 「あ……うん、大丈夫……ありがとう、ね。」 「……声が聞こえたか?」 「うん……大精霊になったから、はっきり聞こえるようになったよ。」 本来、事象そのものとなっている精霊……幽羅であれば風だが、明確な意思は持たない。 だが、たまに近くに居る精霊に声を掛ける者も居る……一度きりではあるが。 さほど力の強くない精霊ではささやき程度にしか聞こえないが、我や幽羅のような大精霊になると、 その声がはっきりと聞こえるようになる。 「……大精霊、かぁ……」 「まだ不安か?」 「ちょっとだけ……でも、それって大精霊になったらみんな感じる事だからさ。  色々考えても、結局は自分から動かないと。」 何処かエアリナに似た口調……当人は……まぁ、気づいているのだろうな、影響が出ている事を。 我も少なからず、先代の影響を受けている。今となっては、その影響も薄れてしまったが…… 「今、エアリナ様みたいだって思ったでしょ?」 「……少し、な。」 「そうだと思うよ。あたしに掛かってる影響、大きいみたい……ほら、前までは私、だったし……」 言い方は悪いが、侵食……それもありえる。強引な形で引き継がせたのだ…… これで影響が全く無かったら、逆に不審に思える程だ。 「でも、あたし……私は消えてない。エアリナ様に似る所もあるけど、根っこまでは変わってない。  エアリナ様と全く同じな事は出来ないよ。だから……」 幽羅がそっと我の肩にもたれる。暖かさと鼓動を感じる。 「あたしは……あたしなりに頑張るよ。色々大変だけど……何かあった時はお願いね、咲耶ちゃん。」 「ああ、同じ大精霊同士……いや、それだけではないな。大切な親友としても、だな。」 「……ありがと、咲耶ちゃん……」 星達と月に見守られながら、ただ静かに夜空を眺めていた。 精霊の体では感じる事の出来ない、心地よい温もりを感じながら。 「てりゃぁーっ!!」 「はぁっ!」 アルカディアと呼ばれる場所、そこで幽羅と二人で依頼をこなす。 次々と現れる敵を、素早い動きで倒していく。 幽羅の援護もあり、普段ではあまり出来ない動きもある程度可能になっていた。 「幽羅っ!」 「りょーかいっ!みんな、お願いっ!」 幽羅の風魔法で、群がる敵を一気に空へと舞い上げる。 それと同時に、怨念桜の槍を具現化する。 幽羅への影響は以前に比べ大幅に少なくなっている。 「その場を動くなよ……!」 「大丈夫っ!」 幽羅が我の背後に回る。それを確認して、槍を地面に突き立てる。 広い場所でしか使えない技……直後、周囲の地面から無数の鋭く赤い針が放たれた。 宙を舞っていた敵を貫き、亡骸があたりに降り注ぐ。 ……普通の冒険者がこの光景を見たら、気を失ってしまいそうだな…… 「……やっぱり、それ使ってると色々と派手になるよね……」 苦笑しながら言う幽羅。確かに、派手な技が多いかもしれないな…… ……亡骸は少しずつ形を失い、砂となって消えた。 「まぁ、あまり気にしないでくれ……」 「そだね……でもこれで、ここ一帯のは落ち着くかな?」 「恐らくはな。元を断つ必要もあるだろうが……今は大丈夫だろう。」 ……この大量発生は……何処かに原因があるはずだ。 あの黒い魔物とも関連しているかもしれない。 「ねぇ、咲耶ちゃん……」 「ん?何だ?」 「あたしは……力になれたかな?」 少し心配そうに幽羅が言う。かつて、エアリナも同じ事を言っていた。 「十分に力になっているさ、これからも頼むぞ。」 「……うん、ありがとう。」 我はその時と同じ答えを返した。その答えに微笑む幽羅。 ふと、幽羅の後ろに一瞬エアリナの姿が見えた気がした。 「咲耶ちゃん、どうしたの?」 「……いや、なんでもない。それじゃあ、帰ろうか。」 「うん!」 そのエアリナも、微笑んでいたように見えた。 ……幽羅は、しっかりと意思を受け継いでいるのだ。これでいいのだろう?エアリナ……